2014年度:定例研究会第1回~第6回

2014年度の定例研究会では、ワーキンググループメンバーやゲストから奄美群島をテーマにした話題提供をしてもらい、その内容を普及啓発冊子『きばりゅっ島!ー今を生きるー』にまとめました。

※電子ブック『きばりゅっ島!ー今を生きるー』にてご覧いただけます。

2014年度:定例研究会第1回~第6回

第1回 2014.5.26
西村明氏(宗教学)
小林善仁(歴史地理学)

鹿児島環境学研究会は、2013年12月に『鹿児島環境学特別編‐地域を照らす交響学』(南方新社)を刊行しました。本書は、過去に刊行した3巻シリーズ『鹿児島環境学』を総括する目的でまとめたものです。本年度は、そこで明らかにした「学問的深化の模索(Aコース)」と「現場の接近の努力(Bコース)」について、奄美群島を共通のフィル―ドにして引き続き探究します。

第一弾の取り組みとして定例研究会を5回ほど開催する予定です。早速5月に研究会を開催いたしました。第1回目は、研究会メンバーの西村明氏(宗教学)、小林善仁氏(歴史地理学)から話題提供をしてもらいました。以下、報告の一部を紹介します。

はじめに、小林氏より、「地図と奄美」と題して話題提供が行われました。国土地理院の地形図図歴(地形図作成の履歴)の見方・利用方法や、国土地理院の所蔵していない旧版地形図が国会図書館に所蔵されていることについて説明がありました。また、鹿児島県本土以南の島々を指す「南西諸島」と「琉球弧」という二つの地域名称についても説明があり、「南西諸島」は軍事的・政治的名称、「琉球弧」は学術的名称として使用されていました。「南西諸島」の名称が登場した明治20年代は、国内の地域呼称が変わりつつある時期(旧国から道府県など)でもあります。最後に「南西諸島」があるなら、北東・北西・南東諸島があってもいいのではと調べたところ、明治25(1893)年発行の『日本水路誌1』に「北東諸島」(現、千島列島)の記載のあることが分かったとのことでした。

地形図の作成時期や、地域の呼び方から、その当時の日本における地域の位置づけが分かるそうです。現在は、地図の平和利用が進んでいるため地図から軍事を想像しづらいですが、今なお地図の国外持ち出し禁止の国もあるように軍事と切り離せない、基本的には地図作成は政治とは切り離せないものであるとのことでした。

次に、西村氏より、「西村、奄美で宗教調査やるってよ!ーポスト九学会の宗教学的奄美研究に向けてー」と題して話題提供が行われました。このたび、九学会連合による2度の調査と、スピリチュアリティ研究の個人調査を踏まえつつ、奄美群島域をフィールドとした宗教研究の可能性を探究することを目的として研究を行うことになったそうです。2013年は奄美の日本復帰60周年の年であり、復帰直後に行われた50年代の九学会調査から2世代後の動向を捉えることができる好機です。

奄美は、群島内から外部への移住に加え、近年では群島内への移住者もあり、活発な人口移動が見られます。しかし、以前からエコロジーやスピリチュアリティの思想的背景を持って奄美を生活の拠点として選択し、その環境に沿ったライフスタイルを築こうとしている人々の持つ宗教性については、十分な研究が行われてきませんでした。今回の研究では九学会の調査項目を見直し、自然、環境といった項目も追加しますが、半構造化インタビューという感じで、その人の語りたいことやその場の流れで項目にないことも追加で聞いたりするというのが、調査のやり方だそうです。

その後様々な質疑応答が交わされました。

第2回 2014.6.30
麓憲吾氏(NPO法人ディ!)
髙﨑恵氏(オフィースピュア)

今回は、「青年・壮年からみる奄美の今とこれから!」をテーマに、NPO法人ディ!代表の麓憲吾氏、オフィース・ピュアの髙﨑恵氏のお二人をお招きしました。

はじめに、麓氏より、「チームFUMOTOのこれまでの歩みとこれから」と題して話題提供が行われました。麓氏は23歳の時にUターンし、島にあれがない、これがないではなく、自分たちで楽しむ場を作ろうとライブハウス「アシビ」をオープンされました。その後、島外の人にシマ唄の価値を教えられるという苦い体験を通して、生活の中に生きる文化である奄美のシマ唄に取り組むことを始めます。そこでまず、面白くやっていく取りかかりとしてシマ唄漫談バンド「サーモン&ガーリック」を仲間と結成し、シマ唄のことを島の人に島のことを伝えたいという思いから、イベント「夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュ!(今宵は島の人に敬意を!)」を企画されています。島をつなぐ秘訣が青年団なのではないかと考え、その活動や存在意義を世の中に伝えるために、イベント開催にあたり青年団にも協力をもらっています。

また、島の価値を島の人が知る手段として、2007年5月に「あまみエフエム ディ!ウェイヴ」を開局し、島口を使って島の情報に特化した番組を放送されています。2010年10月の奄美豪雨災害では、情報だけでなく安心・安堵を伝えたいという思いから24時間体制で放送を続けられました。MBC賞(※)を受賞されたこの出来事は、島のメディアのあり方や情報共有ということの意味、自分達の役目役割を考えさせられる機会だったそうです。

他にも、島に残ってメジャーデビューを果たしたカサリンチュや、選抜に出場した大島高校野球部の話題にも触れながら、今後の課題として、地域に生きるというアイデンティティの形成や次世代へのつなぎ方をあげられました。

引き続き、髙﨑氏より、島のシングルマザーのことや「子どもを生むことが島のためなんだ」と言われることの苦痛から島を離れた女性の紹介があり、性差にかかわらず一人の人として多様性や違いを尊重し合うことが、もっと価値あるものが生み出されるために必要であることや、いろいろな所の地域づくりや地域おこしが行事消化型になっているため、課題解決型に変えていかなければならない、確かな問いを立てる力を地域が持って欲しい、等のコメントをいただきました。

その後、活発な意見交換が行われました。

※MBC賞とは、株式会社南日本放送が、産業・経済・文化・教育・芸術・スポーツ等、各分野で現在活躍し、かつ、将来を期待される団体などへ顕彰される賞です。

第3回 2014.8.5
徳田謙治氏(宝勢丸鰹漁業生産組合 ) 
木村忠義氏(奄美柑橘クラブ)

今回は、「奄美の第一次産業・海と山からみる奄美の今とこれから」をテーマに、宝勢丸鰹漁業生産組合の徳田謙治氏、奄美柑橘クラブの木村忠義氏をお迎えしました。
はじめに、徳田氏より「宝勢丸鰹漁業生産組合のこれまでとこれから」と題して、宝勢丸の取り組みについて話題提供が行われました。
 宝勢丸は大正11年に名瀬大熊町に発足し、古くから自営船での漁獲・加工・直販を一貫して行う経営スタイルに取り組んできました。しかし、近年燃油高騰や漁価低迷など経営環境の悪化が著しく、赤字経営が常態化した時期を経験し、高コストの自営船を小型船化するなどコストを大幅に圧縮し、経営の黒字化に成功した経緯について説明をいただきました。奄美大島の鰹一本釣りの経営の問題点としては、時化になると店が休みになることや奄美産鰹の認知度の低さがあります。このことに対して現在は、畜養による商品の提供、観光客や修学旅行生を生産現場に受け入れての鰹一本釣りの丸ごと体験の実施(漁港内のいけすでの漁獲、削り節加工、さばきなど)、鰹の腹皮の燻製品の改良など土産物の開発、県外百貨店での初鰹刺身の販売などの取り組みをはじめておられます。今後の課題としては、釣り体験用のいけすの増設や遊漁船の大型化、さらに接遇・衛生面の改善等があります。また、奄美の世界自然遺産登録で奄美の知名度が向上し観光客が増えることが期待されますが、奄美でブルーツーリズムを合い言葉に、全国の方が来て、見て、触れて、食べていただけるよう頑張っていきたいとのことでした。
徳田氏の話題提供に対し、水産学部の佐野雅昭教授より、徳田氏は加工や小売業まで行い、さらにちがう価値を付加することで収入機会を増やすことに成功している。その理由は、徳田氏が一度外の社会を見てUターンして様々な発想や感覚でもって新しい取り組みができた結果ではないか。奄美のような離島で流通条件が悪い中、地域の環境文化に依拠した形での事業形態は持続的にやっていく上で大事な部分で、徳田氏の事例がブルーツーリズムのいいモデルになってもらいたい。漁業と観光がどのような関係をもって奄美の環境を利用していくのかということを、もっと大きなビジョンで奄美全体の振興を考えていく必要があるのではないか、等のコメントが寄せられました。
次に、木村氏より「奄美柑橘クラブのこれまでとこれから」と題して、柑橘クラブの活動内容について話題提供が行われました。
柑橘クラブは、奄美大島で柑橘(主にたんかん)を作っている計8名の若手専業農家のグループで、たんかん生産で現在課題になっている栽培技術の改善などについて行政などと一緒に取り組まれています。報告では、たんかんの後期重点摘果技術(どの時期に、どの程度摘果すれば、高品質の果実がどれぐらい収穫できて、翌年もたくさんならすための栽培技術)の確立や、柑橘栽培に必要な台木をどうすればいいかという試験、今年から農協からの委託で行っているサポートシステム(各生産農家に対して果樹園に必要なことや技術的に何をしたらいいかという指導を行う)等について説明をいただきました。また、農業は営業力が弱いため、柑橘クラブは農協や行政と一体になって販売戦略を考えマーケティングについても試行錯誤しており、活動の結果、県外の市場やスーパーにおいてたんかんの美味しさは高評価を得るようになったそうです。しかし、まだまだ認知度が低いので、継続して取り組みたいとのことでした。その他、たんかんだけでなく奄美大島の農業の課題として、農地の貸借などの交渉が進まず土地の有効活用が困難であることや、技術的・知識的な面の不足から利益率が低いことなどがあげられました。
木村氏の話題提供に対し、農学部の冨永茂人教授より、たんかんは貯蔵性や輸送性が高いため屋久島や本土などと競合するが、それよりも大きな課題として奄美のたんかんは、10アールあたりの収量が県内で一番低いことが指摘されました。経営を成り立たせるのは、単価×収量ですが、技術力、立地条件の差や高齢化もあって、農家間でも収量に差があること、奄美大島は秋季が温暖であることから果実が大きくなりすぎ、糖や酸が低く大味になりがちで果実品質による価格差があること、したがって、奄美たんかんの品質向上を図ること重要であることなどが指摘されました。また、農家の技術が平準化していないこと、選果場の稼働率が低いことなども問題点としてあげられました。他にも、日本は果物が余っている状態なので、生果販売から一次加工・二次加工をして供給期間や販路を拡大したり、ネット販売の必要性、土地所有意識が強いため、土地の流動化や有効活用の促進に行政のサポートをどのように生かしていくか等の課題も紹介されました。
この後、参加者の意見交換も活発に行われました

第4回 2014.10.23
鳥飼久裕氏(奄美野鳥の会 ) 
新元一文氏(奄美市役所紬観光課)

今回は、共通のテーマである「地元の専門家からみる〈奄美の環境と産業〉のこれまでとこれから」について、二名のゲストをお招きしました。
お一人は、奄美野鳥の会会長の鳥飼久裕さん、二人目が、奄美市役所紬観光課職員の新元一文さんです。
最初に、鳥飼久裕氏より「奄美に生きる自然保護団体のあゆみー課題と挑戦」と題して、奄美野鳥の会の探鳥会や自然観察会を通した啓蒙・普及活動、オオトラツグミのさえずり調査などの調査・研究活動、奄美の希少生物の保全・保護活動について話題提供が行われました。また、奄美野鳥の会がNPO法人化するまでの経緯や、自然保護の事例としてアマミノクロウサギ訴訟、マングース対策、森林伐採の反対運動などが紹介されました。そのほか、希少種を守るだけでなく生態系そのものを守らなければいけない、中核地域と緩衝地域をどのようにゾーン分けして運用していくのか、エコガイドの自主的な運用ルールの作成、自然だけでなく文化も含めて奄美の素晴らしさを伝える必要性などが、現時点の課題として指摘されました。
次に、新元一文氏より「奄美に生きる行政マンのあゆみー課題と挑戦」と題して、話題提供が行われました。はじめに、島の人達が島の自然・地域・歴史をよく理解できていないことが自立・内発的な動きにつながっていない、これがないと何も始まらないのではないかという問題提起があり、結論として「環境文化の考え方を奄美の人が理解し、そして自ら働く」ことを示されました。次に、その結論にいたった理由として、仕事を通して見た観光産業を取り巻く環境変化や、「サーモン&ガーリック」というプライベート活動を通して見た島の人たちのシマ文化やシマ唄に対する価値観の変化など、「現代社会における価値観の変化」について話をいただきました。また、課題としては、「中央志向・依存 幸せの価値観の多様性」について指摘があり、「シマ博覧会」や「すみようヤムラランド」の活動を紹介されました。最後に「構築できない組織の現状」として複雑な観光関係組織や縦割り行政の問題を指摘されました。 

第5回 2014.12.4
山中順子氏(徒根屋(株)日本伝承プロジェクト)
藤田竜志氏(NPO法人瀬戸内町観光物産協会)

今回は、「奄美の魅力とそれをプロデュースすること~これまでとこれから」をテーマに、徒根屋(株)日本伝承プロジェクト代表の山中順子氏、NPO法人瀬戸内町観光物産協会理事長の藤田竜志氏のお二人をお招きしました。
はじめに、山中氏より「奄美に通うことーこれまでとこれから」と題して話題提供が行われました。山中氏は、14年前に奄美と出会って以来、島々の最高齢の方々に会い、島はどういう所か、言葉や風習、伝統文化や死生観、それらの島々の生き方など何が豊かさにつながるのか、人が祈るというのはどういうことかなどについて取材を続けられています。
ライフワークとして奄美に通いはじめ、2009年より「奄美手帳」を作成することになった経緯や現状、奄美市の事業で全国向けのフリーペーパーを作成中であること、全国の郷友会・出身者をつなぐためSNSなどを使った情報発信、オール奄美産をテーマに、奄美産絹糸で織った帯の製作・販売、裂き織りによる紬の再生・手仕事の復活など、多岐にわたる活動についてお話をいただきました。その中で、100歳の方の生き様が世界遺産=奄美遺産ではないか、世界中の人につながるキーワードが奄美にあるのではないか、人と人とをつなぎ合わせることが今まさに奄美で求められているメニューではないか、といったことがあげられました。
次に、藤田氏より「奄美に生きることーこれまでとこれから」と題して、特別に意識することなく当たり前に行われる集落行事、島民が抱いている変化することへの不安や恐怖心、島外から受ける観光への影響や行政のあり方など、島の現状についてお話をいただきました。若者達が会合へ参加することや外での仕事を経験することが、島のことに興味をもち真剣に考え始めるきっかけになるのではないか、年令差に関係なく人として真剣に向き合い、見守り、受け入れることが将来につなぐために必要ではないか、といったことがあげられました。また、人的資源については、受け入れ体制の仕組みづくり、ローカルルールの構築が優先事項としてあげられました。
今回は山中氏、藤田氏の対談形式で、参加者からの質疑応答も交えながら予定時刻を一時間以上オーバーして活発な意見交換が行われました。 

第6回 2015.1.8
深田小次郎氏(しーまブログ)
徳雅美氏(NPO法人アマミーナ)

今回は「島内と島外を結ぶ~外国も視野に:これまでとこれから」をテーマに、しーまブログ編集長の深田小次郎氏、NPO法人アマミーナ理事長の徳雅美氏のお二人をお招きしました。

はじめに、深田氏より、「島と外をつなぐシゴト:これまでとこれから」と題して話題提供が行われました。深田氏は、インターネットで島興しをしたい、インターネット上に「しま」というコンテンツを作りたいという思いから、全国的に有名なアメブロの奄美群島版で、現在約4000ブログが集まる「しーまブログ」を2010年に設立されました。「しーまブログ」のブログサービス以外にも、グルメガイド「みしょらんガイド」、不動産情報「島ズム」、東京で島ファンのために開催している「Dearどぅしでぃや」、「シマッチュ先輩の情熱教室」、「空き家プロジェクト」、「求人サービス」などの紹介がなされました。また、一番の問題として情報の共有があげられ、行政からの情報がなかなか集まらないこと、情報に偏りがあることなどから、島の情報を一元化する群島イベントカレンダー「SABAKURU」、観光キュレーションサイト「奄ZONE(アマゾン)」、GPSと連動して島を検索できるサイト「Shimagle(シマグル)」など、今後展開する予定のシステムについても紹介がなされました。

課題としては、行政からのオファーがあれば組んでやりたいという思いもある一方で、金銭的には困難でも行政に頼らずどこまでできるか、ということがあげられました。今後はさらに情報を集め、その情報を元に人が動いたり、様々なことが生まれるようなしかけを作りたい、経済が落ち込まないためにも人口を増やしたいといったこともあげられました。

次に、徳氏から、奄美市に生まれ、現在のカリフォルニア州立大学チコ校で勤務されるに至った経緯や、2010年にNPO法人アマミーナ設立に至った経緯、目的、今後の方向性についてお話をいただきました。アマミーナは、「未来を担う子ども達のために、奄美から世界へ、世界から奄美に」というスローガンのもと、奄美にコミュニティカレッジを作ることを最終目的としており、現在、奄美市公民館委託事業で公民館の管理運営をしながら行っている自主事業の「米国短期留学プロジェクト」、「英語DEアート&サイエンス」、「ハロー先輩!」講演会シリーズなどが紹介されました。

また、来島者から見た奄美の問題として、街の美観の統一性がないこと、街中に緑が少ないこと、車が多いこと、街中特に公共の場(空港、港、公園等)にパブリックアートがないことなどが指摘され、これらの問題に対処する方法として、今徳氏が計画しているアートで奄美市を活性化するプロジェクト、「公共野外アートin奄美」やアートレジデンスプログラム(内外からアーティストや学生を公募し空き家を利用しての滞在型アート作成の場の提供)、その作成発表の場として「ビエンナーレ(2年毎)」、「トリアンナーレ(3年毎)」についても紹介がなされました。

最後に、アマミーナ設立時から大きく変わったこととしてインターネットの普及によるオンライン教育が上げられ、建物(ハード)がなくてもネット(ソフト)を通してのバーチャルな空間でもコミュニティカレッジを構築できるのではないか、アマミーナの今後の方向性として委託事業後をどうするのか、コミュニティカレッジを恒久的で持続性のあるものとしてどう実践していくのか、といったことが課題としてあげられました。

この後、参加者からの質疑応答も交えながら活発な意見交換が行われました。