令和2年度「第4回環境文化シンポジウム島と東京を結びこれからの奄美の環境文化を考える」記録集
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-47-井藤もう一つだけいいですか。ちょっと会社の宣伝になりますけれども、今の東京に本部と、それから神田にアンテアンテナショップ、神戸新長田それから鹿児島天文館にアンテナショップをやっております。東京の神田では、島の唄者に毎週毎日、かわりばんこで出ていただいて、世界中に、奄美の島唄をライブ発信することをこの3月の中旬ぐらいから始めます。本来のやり方は、島で新しい事業を起こして、直接島に根付いた事業を興したいのが山々なんですが、なかなか3年経っても、ちょっと今、芽は出てきてますけど、具体化しません。それなら、本土でこういうことをやって、結果として、島の伝統文化が世界中に発信できればいいなと思っています。その準備がようやく終わって、これから動き出すところです。ビバ奄美というアクティビティの会社も作って、世界中から人を奄美群島に呼び込もうとしていますが、なかなかコロナで実現が、おそらく来年以降になるでしょう。厳しいのでこういう事を始めました。本来はあくまでも、島でやりたいと思っています。農業がやっぱり基本だと思っていますので、この春から少しですが、島で作った農作物を関東に仕入れて、それを打ってもらう。これが成功したら、大島徳之島各島々で同じようなことをやって、輸送の問題はありますけれども、その間隙を縫ったビジネスがようやく見えてきましたので、やっぱり島の産業が少しでも、特に農業が増えること、それもあの新しいことではなくて、間隙を縫った島の気候の良さを利用したビジネスができそうだと結果として島の農家の収入が増えるとそれをようやく見つけましたので、これを今年来年再来年と事業規模も段々大きくして、島に金が落ちるような仕組みができそうな芽が出てきてますので、ちょっとこれは力を入れていきたいなと思っています。会社の宣伝でした。ありがとうございます。小栗井藤さん、原田さんありがとうございました。時間がかなり超過しております。今日は、島と東京結びこれからの奄美の環境文化を語り合うというテーマでやってまいりました。今、井藤さん、原田さんからに東京からお話しいただきましたけども、今、大きな変化をの中にあるのかなと感じております。今日は現役世代から始まって、その下の世代、上の世代、その中でも違いがあるんですけども、これから世界自然遺産に向かって、今度は島の外からまた大きな変化が生まれてくるのかなと感じました。今日、保岡さんから話のありました、「なぜ伝統行事を残すのか」というところで、浜手さんが十分に考えてこれなかったのではないかという話もありましたが、今なぜ伝統行事を残さなければいけないのかということを考える必要とその伝統行事をまた新しい形で作っていこうということをお話しもあると思うんですね。そうした時に、今日、次第であった「いったい、伝統行事ってなんだったのか」。要田さんがおっしゃったように、その本質が何を、その伝統行事という括りの中で守り、あるいは変えていくのか、そして観光客の方が来た時にどうそれを新しく作り直していくのかという大きな宿題が今回出されたのかなというふうにと思っております。時間がありませんが、最後に発言されたい方、いかがでしょうか。会場から、お願いします。手短にお願いできればと思います。会場発言者2ウガミンショウラン。江崎と言います。生まれたシマは、大和村の国直の集落です。方言で言うところの、ヤキウチマギリヤマトガハマガタクニヨリムラですね。僕のご意見を述べたいと思います。僕の仕事が、大和村で民宿という観光業をやっておりまして、

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