令和2年度「第4回環境文化シンポジウム島と東京を結びこれからの奄美の環境文化を考える」記録集
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-46-小栗浜手さん、お願いします。浜手私は井藤さんがかつてLCCの誘致に頑張ってこられたということを仄聞しております。非常に郷土愛に満ちた方だと思ってるんですが、あの当時まだ、格安航空の誘致というのは、少しだけ話題に出ている時ですね、井藤さんを中心に、奄美としても格安航空を呼び込まなければというようなことに尽力されたということも聞いております。先ほどから、ビジネスという言葉がひとり歩きしておりますが、私が思うのは、いわゆる奄美の伝統工芸、文化、習慣あるいは自然をそのまま、ただ、今のまんま、そのほうが。追いつくことが果たして、私ども人類ために良いのか。そのために自然遺産登録ということにもとながっているわけで、奄美の良さを知らしめるツールとして、東京においてツアーを組み、諸鈍シバヤに触れてもらう、自然にも触れてもらう、こういうツールとして、私は都会でやっていらっしゃる方が、シマに対しては非常にありがたいと思いますし、そうでなければ、鎖国とは言わないが、非常に狭い意味での自然遺産、あるいは私どもの伝統工芸、伝統文化を多くに知らしめる手段はないと思う。そういう意味で、ビジネスという言葉を一つの奄美に触れさせるツールとしていただいているというふうに、私は認識をしております。小栗東京会場の井藤さん原田さん、ご意見を聞かれていかがでしょうか。井藤ありがとうございます。私が弁解しようとしたことを浜手さんがやってくれたんですが、ちょっと言葉が足らなくて誤解をされているんですが、LCCの話も出ましたけれども、私の思いは、いかに奄美群島の活性化に微力ながら少しでも貢献できるか。すべての原点はそこにあります。先ほどの伝統行事に関しましても、ほぼ繰り返しになりますが、我々が島にいた頃、昭和20年代30年代の人口が半分になっています。各集落もです。皆空き家だらけで。八月踊りをやるにしても、もうほとんど年寄りばっかりで、現実問題はできないところもいっぱいあります。加計呂麻も学校がほとんどなくなりました。伝統行事をやるにも、日頃は2、30人しかいませんが、東京や関西、九州からみんな呼んで100人ぐらい集めて、なんとか今はやっています。そういうところは、先ほど言ったように、引き継ぐにも引き継げません。先ほど私が言った、大島で1件徳之島で2件、アクティビティとしてやってるのは、これもあくまでも、いくらかでも、その村のために貢献できれば、お金が落ちればという意味であって、ビジネスと言うと、それを利用して私が儲けるような勘違いをされても困るんですが、目的はあくまでも、その各集落の保存会の費用にいくらかでも役立てばという趣旨で申し上げていますので、くれぐれも、目的と手段を取り違えないようにお願いしたいと思っています。ありがとうございます。小栗ありがとうございます。井藤さん。原田さん、よろしかったでしょうか。原田先ほど、伝統行事のビジネスの話もあったんですけど、奄美群島の課題の一つは、井藤さんも先ほどおっしゃった人口減ですね。それ関して、奄美の自然の豊かさとか伝統行事を内地の人に知ってもらって、触れて楽しんで、旅行に来てもらうと。旅行に来てもらって、また奄美に遊びに行きたいと思ってもらって、八月踊りを一緒に踊ったから楽しいとかやりながら、最終的には移住して人口人工を増やしていきたいというのが、やっぱり内地には思いがあるんですね。それがまた、地域活性なり、いいですねあの伝統行事、集落の人口減にプラスになったらいいのかなと私は思っております。

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