令和2年度「第4回環境文化シンポジウム島と東京を結びこれからの奄美の環境文化を考える」記録集
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-34-どういうふうにお話を聞かれましたか。保岡シマのおじいちゃんおばあちゃん、自分の網野子集落のおばあちゃんとか、もう片方のおばあちゃんとか、そのおばあちゃんの家に泊まったら、毎日毎朝、仏壇の方に立って、神様にお祈りみたいな何かをしてるんですよね。僕たちの少し上の世代って、神様とかそういったものとの関わりが僕たちと比べて強くて、豊年祭とかも結局、神様にお祈りをして豊作を願おうというのが、確か豊年祭で、それが今も続いているわけでして。ただ、多分、僕たちの世代っていうのが、神様というものへの感覚が上の世代の方達より、少し薄くなっていて、ませた子どもたちは「神様なんていねーんだよ」みたいな子たちもいて、神様に対する信仰とかそういうものが、昔の人たちよりも少なくなったいうのが、僕たちの世代が伝統文化を引き継ぐ、伝統文化を大切にする思いが少ない理由のひとつにそういう。豊年祭とか、昔の人たちはもう本当に命がけで畑とかを育てていて、凶作とかになったら、本当に命に関わる出来事なんで、だから豊年祭で豊作を願おうとなっている訳ですけど、僕たちの世代は、食べ物とかにも昔に比べてすごく恵まれているので、その凶作になったところで、食べ物はあるんだよなーみたいな考え方が、実際に僕たちの考え方の根底にあって、そういう僕たちの世代の考え方が、受け継ぐということをしなくなっている理由の一つになっているんじゃないかなと思いました。小栗ありがとうございます。保岡さん、西田さんの間にちょうど静島さんの世代が入ると思うんですけど、静島さんは多分、上の世代と娘さんの世代の中間だと思うんですけど、ここまでをどういう風に聞かれていましたか。静島今、お二人、また保岡さんがお話ししたこと、まさにその通りだと思うんですけれども、自分も父から言われたことは、昔は特に農業や漁業、そういったもので生計を立てていて、十五夜や豊年祭、そういったものは生活の一部、それをやらないと、生活自体が成り立たないという必要性があったからこそ、続けてこれたということもあるんじゃないかと思うんですけれども、保岡さんが言われたように、今はそういったことなくても、普通に食べるものはありますし、不自由がないということで、では何のために、この伝統文化をそのまま続けていく必要があるんだと、若者の方が思うのも無理はないんじゃないかと。我々自分も正直、本当に申し訳ないんですけども、団長として今行事に携わっているんですけども、もちろん昼間は自分の仕事のこと、家庭のこと、いろんなことがあるときに、半年ぐらい前からその行事についての準備をするんですけれども、少し面倒くさいなぁと思ってしまうところは正直あります。ただ、面倒くさい、面倒くさいと思いながらもやって、終わった時の達成感というのがすごくあって、やっぱりやってよかったなと。おじいちゃんばあちゃんの笑顔を見たり、また一緒に協力し合ったメンバーと苦労したこと、楽しかったことをまた話しながら酒を酌み交わしたりすると、すごく充実感、達成感がありますので、そこが若者の方々にどう伝わるかはなかなかわかりませんけれども、そういうことではないかなと思います。ちょっと難しいと思いますけども。小栗ありがとうございます。浜手さん、ここまでお話を聞いてどんなことを感じておられるか、ご意見を伺えないでしょうか。有限会社浜久代表取締役浜手栄男(以下、浜手)浜手です。私は環境文化とは縁の遠い存在でありますが、PTA活動あるいは経営会議長活動とか、最近ではさくらマラソン、イベントの太鼓、こういったものに携わってまいりまして、島の環境とい

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