-33-て、自分達でやったようにそういう気持ちで思ってるけど、実際は自然に生かされている自分たちなんだっていうのが根っこにあるんじゃないかな。だから、絶えずを感謝すること、そして、その動く方法としてつながりが必要ってことををすごく考えて、まとまらないけど。この若い人たちがすごい何倍も考えて、世界にまで目をやってしていてることに感動しました。とにかく、むしろ本当に勉強させてもらいましたありがとうございます。小栗ありがとうございます。今、お話しいただいたんですけども、このスライド作成された時にも、保岡くんから、なぜ伝統行事を残すのか?ということをもあったんですけども、写真を撮影されてきて、西田さん自身はどういうメッセージを受け取っておられたんですか。なぜこの行事をやるのか、なぜ祈るのかというあたりを。西田中村さんがそのことをちょっとおっしゃって、ああそうだよねって。みんなでワイワイして楽しい。要するに、本当に田舎に暮らしていると娯楽とかが少ないし、そんな昔からテレビがあったわけでもないから、本当にもう、あの人この頃顔見ないけど寝込んでるんじゃないかな?っていう人が、島唄のリズムを聞いて、モチモレなんかをしたら、杖ついて出てくるんです。住んでた鳩浜でも、すごくモチモレ踊りが盛んでね。そういうふうに何かの感謝のね。イネの栽培から始まったかもしれないけど、神様へのお礼、その自然を崇拝してるわけだから、すごく感謝するんですよね。だから相撲も、嘉徳の静島さんの文章に入っていましたけど、相撲も神様に供えるためだっていうことを触れてらしてたのね。そして、シマには大工の神様、山の神様、海の神様、みんな神様がいっぱいいるんだよって、おじいちゃんから教わったんだよっていう、そういう中で、祭や民俗行事は始まる前には禊をして、それをノロ、ユタたちがして、皆楽しむだけじゃなくて、神様を身近に感じてるし、人との間にそういう神様とのつながりをも感じるわけよね。だから、ほっとするんですよ。なんかいろんなことに祈って、楽しいことがあって。祭や伝統行事はそういう精神的つながり、自分の暮らしの中からいろんな思うことに対して、そういうこともあるんじゃないかなぁと思って。さっきの写真にで2、3説明したいのがあったんですけど、3番目ぐらいにトネヤにお米を持って来るのね。あれは、集落民がみんな一合ずつお米を供出して、それをトネヤでミキをつくって、そのミキをまた、みんなに厄払いに飲んで頂くわけ。そういうをお米を一合ずつ持ってくる大熊のトネヤでの写真です。それから、古仁屋の安脚場の写真ですけど、豊年祭に行って来たら、あの年齢の人たちなんですよ。要するに、集落が過疎化して若い人がいないから、あの中で一番上の人は89歳だったんですよ。必死に中入り祭の入場をやっぱりそれだけ大切に想ってるっていうかな。もうヨボヨボで歩くのもやっとなのに、あと旗を持って、もうほんと胸が詰まる思いでした。だから、普通に民俗っていうのもシマの民俗が余計深く感じます小栗ありがとうございます。西田さんから思い、祈りということが出ているんですけど、保岡さんは
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