令和2年度「第4回環境文化シンポジウム島と東京を結びこれからの奄美の環境文化を考える」記録集
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-31-のも分かって、子どもたちに残したいという気持ちもあったり、先祖代々伝えてきたものを残す使命感もあると思うんですけど、そういったものがあまり子どもたちには伝っていないので、そういったものを伝えて、子どもたちに残していくっていうのも手だと思うんですけど、もう一つ気になるのが、できるだけ客観的に遠い目でその伝統文化っていうものを見たときに、なぜ残す必要があるのかという疑問が出てくると思うんですよ。残したい自分たちは、僕も八月踊りとかやってきたのでわかるんですけど、次の世代にも残していっていう気持ちは、その当事者たちにあると思うんですけど、他の人たちから見たら、別に残す必要なんてないさみたいな、なぜ残す必要があるのかっていう考え方も一つあると思うんですね。だから、客観的に見た時に残す必要性のある理由が何なのかっていうのが気になっていて、そういう質問したいんですけど、僕が一つそれで考えたものとして、さっき中村さんがおっしゃったと思うんですけど、伝統や集落の行事があるからこそ、集落で集落の人と顔を合わせることができるんだなという印象を持たれてたと思うんですけど、そういう意味で、伝統行事の場でその集落の人と人との関わりをつなぐものという働きをするんじゃないかなって思いまして、集落その伝統行事が集落のコミュニティを形成していて、その上で、そこの商店に寄ったり、自分の知り合いの商店に寄ったり、他にも災害時の対応だったりも、一人一人が知らない、誰がどこの誰なのか知らないみたいな集落だと、災害時の声かけとかでも、集落の端っこの方に老人がいても、その老人を誰も知らなければ、その老人は一人取り残されるんですけど、そういった時に伝統行事とかで人と人とがつながっていれば、一人では逃げ切れないような人たちのもとに、若い世代の人たちが助けに行ったり、そういう対応ができるという点で、コミュニティをつなぐ一つの役割としてペン等行事があると僕は思ったんですけど、その他に伝統行事を伝統文化を残す必要性っていうのが何かあるのかなっていうことを質問したいです。小栗ありがとうございます。今いただいたコメントは、伝統行事を残したいという思いはあるけど、そもそもなんで残したいのか、残す必要があるのかと質問だと思いますけど、どなたかいかがでしょうか。中村高校生お二人の話を聞いて、私がずっと市に住んできて思ってきたことをすごく簡単に言葉に出せることにすごくびっくりをしました。自分も高校1年の息子がいるんですけど、それこそいつも豊年祭前だったら父親に連れられて行って、倉庫の後ろに入って出てきたらまわしをつけて出てきて。小さい時から親子相撲をやってたので、そういう感じで息子も嫌々ながらまわしをつけて相撲をしてたなぁと、保岡くんのお話を聞いて思い出しました。先ほど言ったように、本当にその伝統文化をなぜ残していくのかって言われて、私もずっと考えてたんですけど、やはり、顔を合わせていく行事がないと本当に仕事と家庭との往復だけで、隣の人とも行事がないと会わない時とか小さな集落でもあるので、そういう意味と、多分個人差があると思うんですけど、私はやっぱり小さい時から伝統文化に、それこそ小さい時は伝統文化とか思ってなくて、この時期が来たらこの行事があってっていう感じで1年の流れで過ごしてきたんです。その準備のときから、その行事の空気や雰囲気っていうか、豊年祭の2日前から提灯が灯ってたり、婦人会の人とかが集まって準備をしてたり、準備の間に民謡がずっと流れてたり、小さい時からそういうのを聞いて育ってきているので、大人になっても準備が大変な部分があるけど、みんなとわいわいするのがまた楽しいって。多分、昔の人もそれが楽しみで、そこに住む楽しみだったのかなぁと思います。先ほど、二人は若いけど山に行ったり、それこそ畑に行って人参を取って食べてたってお話を聞いて、自分たちも学校帰りにミカンを取って食べたり帰ったこともあります。だけど、自分の同級生の名瀬の子たちとはまた遊びがちょっと違うこと

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