令和2年度「第4回環境文化シンポジウム島と東京を結びこれからの奄美の環境文化を考える」記録集
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-24-静島青壮年団活動をする中で、やはり、80、90歳代の大先輩、それこそ青壮年団の中心になっていた元々の方から、先ほど言いましたとおり、「もっと俺たちの時はきちっと集落のことを考えて、いろんなことをやれていた。お前らはなかなかまだ、そんなことができていない」というすごくお叱りを受けるんですけれども。ま反論をする訳ではないんですけども、我々の時代はほとんど勤めに出ていたり、夫婦共働きであったり、自分の子どものいろんな部活動だったり、いろんな学校行事も多かったりして、なかなか集落の活動に昔の方と比べるとできなくなってきているということがありますので、そういった面もあるのかなと思います。昔は青壮年団のメンバーがほとんど同じ考えで、同じ方向に向かってできていたということなんですけれども、今、我々、40人ほど名簿上のメンバーがいるんですけれども、実際活動を行えているのが、「やるぞ」って言うと、20名くらいしか集まらなくて。やる人が限られているということで、そういったかたちでなかなか。受け継ぐシマの文化自体もちょっと面倒くさいと思ってしまう人も何人かいてその面倒くささから集落を離れて、例えば、古仁屋の方に移るとかですね、そういうこともあって、ちょっと寂しいなあというふうには思っております。そこがちょっと危惧しているところかなぁと思っております。小栗中村さんはずっと奄美にいて、今も市に暮らし続けている。でも周りは多分、名瀬に移ったりしていると思うんですけど、そういった中で、中村さんはどんなことを考えてらっしゃるんでしょうか?中村私はやはりシマがやはり好きなので。利便性とかを見たら、子どもの環境とかを考えたら、名瀬とか大きいところがいいのかなぁと思うんですが、やはり嫁いできたっていうのもありますし、そのまま今、市集落に住んでるんですが、私は普段から思っていることは、こちらのインタビューの時にもお答えさせていただいた通り、もちろん子どもがいるから、学校と集落の行事がすごく楽しくて残していきたいし、またそれを残していくことが大事だなぁとは思っています。多分、私の年代とか友達とかはあまり興味が無いと思うんですけど、結構、島の人とか義理の両親の話とかを聞いていると、けっこう島の人は旧暦でいろいろ行事を進めていくところがありまして、その旧暦の通りに、「旧正月は寒くなるよ」とか言ってたら、本当にこの前の2月の12、13、14日でしたかね。旧正月はすごい寒波が来て、「今日は大晦日で、明日は元旦だから寒いんだよ」とか言ってたのが本当だなーって、そういうのをすごい実感しています。自分の友だちでもそんなに旧暦とかを気にする人はあまりいないと思うんですけど、「田植えの前は寒くなるよ」とか聞いたら本当に寒くなったり、そういう昔の人の想いっていうか、そういうのがまだ市集落には残っている部分がありまして、浜下れ行事や豊年祭だったり。自分の同年代も減っていく中で、今回、新型コロナの影響で行事がほとんどなくなったときに、行事があるから集落の人と顔を合わせるんだなっていうのを今回すごく実感をしました。静島さんも言っている通り、やはり年々人口は減っていきます。でもその行事をこなす時には、今までと変わらず同じ行事をこなさないといけなくて、一人一人の負担がすごく大きくなっていきます。豊年祭とかもやはり、市集落は日にちが旧暦の8月15日を過ぎたらダメだよっていうのを聞いてまして、その前にガン戻しで7品をお供えをしてっていうのを婦人会で準備をするんですが、やっぱり人が年々減ってきている中で、皆さんやはり共働きもしてますし、そういったことがやっぱり負担になっていくので。だけど集落行事は残したいというのがあって。楽をしたいというわけじゃないんですけど、いる人数で、できる分をやっていけたらなと思っています。前は人数がいた方が地域が盛り上がるのかなと思って。学校もやはり生徒が増えればクラスが

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