令和2年度「第4回環境文化シンポジウム島と東京を結びこれからの奄美の環境文化を考える」記録集
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-22-生の息子と小学校4年生の娘と、里親をしてまして、クロウサギ留学生の中学2年生の女の子と5人で生活をしています。PTA、子ども会、婦人会の活動を毎日送ってまして、常に自然とかかわりながら生活をしていますので、今回すごい興味を持って参加をさせていただきました。幼少期の思い出なんですが、住用町の川内集落はやっぱり川はしかないので、それこそ毎日、夏は川に入って泳いで、「川に行く前に靴を洗ってきなさい」と親に言われて、その川で上履きとかの靴洗ってから泳いでいました。私もやはり同じ年代だと思いますので、やはりタナガ(手長エビ)を取って、近所のおばちゃんがもらってくれて、お小遣いをもらったりとか、よく父と一緒にがスランプを持って、カニを取りに川に行ってた思い出があります。それこそ、ファミリーコンピューターやゲームが普及しだしていたんですが、やっぱり外でローラースケートとか、山にイチゴを取りに行ったりとか、外で遊ぶことが多かったような気がします。小栗ありがとうございます。今日、会場に来られている方も、我々よりも上の世代の方もいらっしゃると思います。聞いている話に、そうそうそうっていうふうに多分頷くと思うんですけども、おそらく今ここにいる登壇者の方々、中学、高校、島を離れてしばらくして、中村さんはずっと島ですけれども、多分、次の世代の下ぐらいからは、徐々に遊び方も変わってきているのかなと思うんですけども、まずは、奥さん、外に離れられたり、今ですね、昔と比べて何が変わって、どんなことを感じてますか。用安で自分の子どもと、自分の子どものときの違いみたいなものはどうですか。奥元の違いが…でもどうですかね。僕なんかの時にはそういう遊びみたいなのも自分たちでこう考えないといけないというか。「棒が落ちてました」と言ったらその棒を使って、どんなして遊ぶかな。みたいな。何か作るとかそんなんでもいいんですけど、そんなんで1日が過ぎていったりしてたんですけど、今の自分の子どもや周りの子どもなんかを見ると、「棒はあります。だけど、どうして、どう遊んだらいいの?」みたいな感じで、これをどうやって楽しく遊ぼうかなっていうふうにこう考えなくなったような気はしますかね。小栗ありがとうございます。静島さんはどんなことを感じてらっしゃいますか。静島今の奥さんの話をまさに同じなんですけども、先ほどもお話しましたように、いろんなものを自分たちで作って、先輩たちから教えてもらっていました。例えば、つり竿は竹を切ってきて、ちょっと枯らして、そして曲がっているところをろうそくの火でこう炙って伸ばしてとかですね、そういったのまあ先輩たちから教わって、自分たちもそれをまた後輩に教えてという形だったんですけれども、今は子

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