平成25年度地域の環境文化に依拠した自然遺産のあり方に関する調査検討業務報告書
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61 椎の実は、蒸し方次第で何年も保存できるようである。精製した物は、米と混ぜて御飯を焚いたり、味噌、焼酎、菓子などの原料にしたのである。 戦後食料難の時、奄美の多くの人々は、南島雑話の当時と同じように椎の実拾いを体験していると思うが私もその一人である。確かに男より女の方が拾い方が上手である、農作業の合間をぬって、しかも険しい山道、ハブの危険もあった事だろうに、夜明け前、松明(琉球松の大木で、枝分かれや瘤になった所に松脂が出て堅くなった部分がある、アーシ(方言)を斧で削って松明用にした戦後の農作業やいざりを思い出す。松明は、他に枯れた竹を束ねた経験もある。)を輝かし卯の刻(日の出の頃、六時頃)まで一里余り行って椎の実を拾った様子が目に浮かんでくる。 奄美の農耕地は、ほとんど砂糖黍を植え付けさせられ黒糖生産に励んだ島民は、砂糖黍の出来ないわずかな土地利用しか出来なかったのではないだろうか。これでは、自分達の食料生産は出来ない訳で椎の実拾いも生きて行く為の手段であったのではないだろうか。こういう先人の知恵があったらばこそ、戦後食糧難の時代を切り抜けてこれたと思うのである。 4.あとがき 図に出すと言いながら図がないものや、図と説明が一致しないもの、それに名不詳と、手掛かりになる事柄を本文中に探すが。よくわからないものが多かった。特定できるものもあれば、複数の候補が考えられるもの、皆目検討がつかないものもある。 名越佐源太は当時一流の知識人で、漢方薬に精通していたようである。たとえば、地骨皮(ジコッピ)という名前出てくる。『きよらじま』連載の時には、初島住彦先生に聞いて、ネズミモチ(モクセイ科)としていたが、その後、地骨皮 (ジコッピ)はクコの根皮を加工した生薬の名前だと知った。 このように、まだまだ勉強中で不十分であるが、今回このようにまとめる機会を得たので、再度問題提起をし、皆様方のご教示を願う次第である。 ■参考文献 田畑満大(1995-1998)「南島雑話の中の植物(1-3)」『きよらじま』奄美の自然を考える会 田畑満大・瀬尾明弘(2011) 「『南島雑話』にみる植物の利用」『奄美沖縄環境史資料集成』南方新社

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