60 【仮訳】 大島は深い山が多く、椎の木も多いです。イタジイの堅果( かたく乾燥し、熟しても裂開しない果実で普通は実と呼ぶことが多い。)が多い年は非常にたくさんとれます。大島の男女たましいを入れ(一生懸命)、シイの実を拾い、朝夕の飯料(食事代)とします。米の飯についで良い食べ物になると言います。椎の実は蒸すか煮て囲炉裏(室内の床面に設けられ炉。戦後の昭和30年代頃まで薪を燃やし、炊事や暖をとった場所)の上に棚があり、その上で乾かすかまたは、日に干して乾かし臼で皮を搗き砕いて実を揺り分け、ご飯やお粥にします。また、味噌や焼酎、または蒸菓子に使います。 椎の実のご飯は、前の晩に水に漬け置くと焚く時は、よく煮えると言います。米と混ぜて焚くには、椎の実を先に一沸き沸き上がるまで煮てから、米を入れて焚かなければ良いご飯は出来なと言います。味噌や焼酎を製造する時、麹(コウジカビ科の一群の子嚢菌(しのうきん)で、餅やパンに生え、多くの酵素を含み、でんぷん、たん白質などを分解し、酒や醤油などの製造に利用される。)もよく生育します。焼酎を製造する時は椎の実だけでは、焼酎はできないので、一次仕込みのもろみに、サツマイモを入れ混ぜて製造すれば、椎の実一升に一沸(わかし)かし出ると言います。この焼酎は口当たりが柔らかで最上級の物ができます。ほかに伝授の煎じ方あると言われています。これは焼酎の垂り別にして多く、(むろみに入れる品物があるようですが企業秘密?)殊に泡が盛んに(泡盛?)出るといいます。 蒸し菓子は餅米と半々に交ぜて造ります。非常に良い蒸し菓子です。また、形菓子にしても、粉が非常に細かく、葛で造った菓子に似て最上です。これは、米で造った形菓子よりも色が白く却って優れたものではないかと思います。 椎の実を蒸したり、煮て干したりして置き、皮を取り去らないで貯蔵すれば、幾年とながく置いても虫が付く事はありません。ですから、椎の実を沢山拾い貯えれば、凶年の用意ができたといえます。そうは言っても、ゆで過ぎて皮が割れる時は、年月が経たない内に虫が付くと言います。九月末より椎の実を拾えば、実が多い年は、翌年までも拾いますが、九月より塩炊きをし、砂糖樽の榑木(樽を造るための材料になる木。イタジイ、アマミアラカシ、エゴノキなど)も取り、田畠も耕すなど、さらに、十一月より、製糖も始まるので、島民は少しの時間もない時期で、霜月(しもつき)になれば椎の実を拾う人はいないと言います。椎の実を拾う事は至って難儀な事です。大島の山は、ごつごつした大きな岩の坂道が多く、そこを松明(タケやマツなど割り木を手頃の太さに束ね、その先端に点火し照明としたものです。奄美では、松の樹脂の多い部分を細かく割り、太い針金で編んだ入れ物に入れて点火し、照明としたのを使った記憶があります。)を輝かし、夜明けの6時までに一里余り(4km余り)行き、その日一日中、山奥の静かな谷を経て絶壁を越え、数カ所の川を渡り、椎の実ある所をこちらやあちらと探し歩き、終日かけて拾えば上手な人は二斗余り(36ℓ余り)も拾います。手籠(方言でティル)を背負い椎の実を入れれば、次第に重く中々難儀なものです。また、3~4里(12km~16km)の奥山に入り椎の実を拾うには、前日から行き、その夜は山に泊まり、翌日に終日拾って帰る。 島民はこれを天から賜った穀物だとし、苦労しても拾うのです。椎の実を拾うことは男子よりも女子がよく拾うと言います。男子が五升(9ℓ)拾う時は女子は、八、九升(14.4ℓ~16.2ℓ)は拾うと言います。
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