平成25年度地域の環境文化に依拠した自然遺産のあり方に関する調査検討業務報告書
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216 2)シマからの学び このようなシマの暮らしから私たちが学ぶことがある。一つは、シマの中の資源を共有し、独り占めしないで、うまく利用してきたということである。「自然のものだれがとってもいい」という言葉は、シマの自然資源が共有であることを示している。手に入れたものは個人で独占するわけではない。「とったものは売らん。親戚や大事に人に持っていく」。この言葉には、手に入れたあとも半ば共有物であるとの意識が伺える。「次の人のために残しておく」という言葉も聞いた。採るのも、残しておくのも、シマの誰かを意識している。 もうひとつが、自然に対する感謝と畏れである。感謝は祭祀行事に現れる。秋名・幾里集落の平瀬マンカイ、ショッチョガマは奄美大島を代表する稲作関連祭祀である。西仲間では豊年祭に悪綱引きが行われる。畏れは、塩祓いやクチタブ・クチブセ(おまじない)という行動に現れる。集落の周辺、自然との境界線に頻繁に出現するクェンムンも大切な存在だ。 「何でも触れば悪いから。触らんようにして、トートーガナシさえすれば何も触ってはこんよ。」 そんな言葉が自然に聞かれる。 現代社会が直面する環境問題は、近代科学技術がもたらした恩恵と表裏一体の関係にある。全ての現象が科学的に説明され、コントロールできるという考えによって、科学技術は格段に進歩した。科学技術は、大量生産と大量消費を可能にし、資源の枯渇と汚染物質の発生を招いた。自然を畏れ敬う心が失われ、自然環境も失われつつある。このような時代に、シマでの人と人とのつきあい、自然と人とのつきあいに学ぶところは多い。 3)祭りの意味 今回の調査を通じて、シマにおける祭祀の意味を改めて感じる事が出来た。この一年の実りへの感謝、来る一年の実りへの祈り。長くつらい労働からのつかの間の開放。そして、シマという共同体をつなぐ役割。限られたシマという空間で、助け合い、資源を分け合って暮らしていくには、みんなが顔を合わせて楽しむ祭祀の場は非常に重要である。シマ唄、八月踊りや余興もその機能を果たしているのではないだろうか。シマの一年の暮らしを知ることによって始めて、祭祀の意味が理解できるのである。 秋名・幾里集落では、ショッチョガマと平瀬マンカイに参加する機会を頂いた。地域で大切に引き継いでこられたこの祭祀に立ち会えたことは大きな感動であったが、さらに印象に残ったのは、平瀬マンカイのあとの浜辺での会食と、さらにその後の八月踊りであった。浜辺での会食にはシマ中の人が「一重一瓶」でご馳走や酒を持ち寄り、互いにふるまいながら時を過ごす。この日にあわせて遠くから親戚も帰ってくる。夕暮れ時に始まる八月踊りでは、みんなが同じリズムに身を委ね、身体を動かして、時間を共有する。このような場と時間が、シマという共同意識を育んでいるのだと感じた。 平瀬マンカイの後の浜辺での会食 八月踊り

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