215 2.世界遺産を地域づくりに活かすために 世界自然遺産は自然科学の観点から評価され、保護が重視される。外からもたらされる評価とそれに伴う規制によって、地域の食の楽しみが奪われたり伝統的な祭祀が行えなくなるようでは困る。今ある自然は地域の日常が引き継いできたものであり、その知恵と技術に学ぶことも多いはずである。世界自然遺産を活用していくためには、外からの評価だけに左右されないよう、地域が自らの手で地域を見直し、自分の物差しをしっかり持っておくことが大切だ。 本調査において、奄美大島で自然とのふれあいについてお話をお聞きしたのは、その試みのひとつである。奄美・琉球の世界遺産としての価値は、湿潤な森が育む生物たちにあるが、実は完全に原生状態である森は少ない。戦前は日常生活や製糖に用いる薪の確保と炭づくりのために伐採が行われてきた。また食糧確保のため、山でも畑作が行われてきた。戦後は建築用材やパルプチップの生産のために大規模に伐採された。現在見られる森の大部分は、旺盛な再生力によってその後に成立した二次林である。自然を利用し尽くさないことで、自然の恵みが持続的に得られ、多様で特徴的な生物も生き続けてきたのではないだろうかと考えられる。大切なのは人と自然の折り合いのつけ方である。この地域の価値は自然にのみあるのではなく、うまく使ってきた人にあるといえるだろう。 このような地域の特色を踏まえ、環境省は国立公園の指定にあたって「環境文化型国立公園」という新たなコンセプトを提唱している。「環境文化」とは、「奄美地域の自然資源の保全・活用に関する基本的な考え方」(環境省那覇自然環境事務所 2009)によれば、「固有の自然環境の中で、歴史的につくり上げられてきた自然と人間のかかわりの過程と結果の総体、つまり、島の人々が島の自然とかかわり、相互に影響を加え合いながら形成、獲得してきた意識及び生活・生産様式総体」とされている。また、「環境文化型国立公園」については、環境文化を再認識しながら、地域と一体となって管理運営を行っていくことと、環境文化を来訪者に伝えていくことが提案されている。 3.環境文化把握調査で見えてきたこと 1)シマという空間 奄美群島では集落を「シマ」と呼ぶ。山がちの奄美大島では、シマの多くが三方を山に囲まれ、海に向かって開かれた平坦地に形成されている。中心を流れる河川沿いに水田や畑を開いて農耕を行い、山からは薪を集め、海で魚や貝を採集して暮らしを営んできた。 平地の田畑だけでは十分な食糧が確保できなかったため、シマの人々は集落周辺の山に段々畑を拓き、主にサツマイモを栽培して食糧を確保した。段々畑の境界には、土留めや防風の目的でソテツが植えられ、ソテツは食糧や緑肥としても利用されて、シマの暮らしを支えた。終戦後に人口が増加した際は、さらに山の奥でアラジバテと呼ばれる畑が拡がった。 自然からの採集は幅が広い。山からシイの実・筍・キノコ、川からモクズガニ・テナガエビ・ウナギ、田んぼからタニシ・セイ・ウナギ、海から貝・海藻・エビ・ウニなど。季節の折々に自然からの恵みを得てきた。それはシマの味でもある。 このように、シマは農耕と山・川・海の恵みを組み合わせることで、限られた空間の中で生活を営んできた。近接したシマでも動植物などの呼び名が異なることから、よそのシマとの交流はそれほど盛んではなかったと考えられる。全てを見渡せるシマの中で、人々は「ユイ」でつながり、支え合い、分かち合いながら暮らしを営んできた。
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