211 数はここ数年激減しており、いわば絶滅危惧種になろうとしている。 奄美に住むと言われる小妖怪「ケンムン」の世界と人間の世界の生活圏について考えてみたい。なぜなら我々シマンチュ(島人)の心の中には今でも「ケンムン」が生きている。人間との関わりのある空間が多く残されているのは自然との生業であり、島資源の垂直利用と深い関わりがあったことも植生調査などから明らかにされつつある。戦後、作家の島尾敏雄や日本画家の田中一村などは奄美で独自の文学と芸術をシマの聖域的空間を捉えて熟成させたといえよう。奄美はその位置的環境や自然観などに見られるようにケンムンやハブと共存している島の魅惑の自然観が今も生きているから文学や芸術的な感性をくすぐるのではなかろうか。奄美にはこうした入り江の潮騒ぎに向けた言葉で、語り部の口から唱えられる得体の知れない霊性と聖なる疑集に充ちた未知の生命力の核心があり、自在の交錯とを含みこむ可変的な時空間が残されている地域であるとする分析も行われている。このような捉え方は文字に置換しうる「歴史」の理論的な検証で捉え得ない、シマンチュの心の中で育っている。そのような観点から捉えると、奄美諸島のシマジマ(集落をとりまく自然環境)は豊饒な記憶の森のなかで育まれた未知の生命の心音だけを静かに刻みながら人々に伝承されてきた島であるという捉え方が実感される。 シマの深い森の中にはいまでも人間を近づけない森の空間や海辺で密やかに、物静かに生きており、何かを語りかけ、その波長が体の視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚などのすべての感覚が全身を包み込み直感的に「ブルッ」と軽い身震いすらさせるから不思議である。それはケンムンの存在を信じているからこそ体感できる事実である。今後、ケンムン伝承と奄美の自然感については伝承の聴き取りと分類、出没場所の記録と遺跡の関係など民俗的事例と歴史的背景などを学問的視点で捉えることにより、奄美群島ならではの自然との共生のあり方を探ることが出来そうである。島に棲む多様な動植物の匂いや野鳥のさえずり、可憐な野生蘭、音もなくスゥーと視界に現れる毒蛇のハブなどの聖域がある。それを守ってきたのがケンムンであり、猛毒ハブの存在でもあろう。ケンムンが自然界と人間界の境界域に生息し、自然界と人間界の番人のような役割を果たしているのがわかる。考古学研究の視点からも人とは何か、技術・社会・進歩とは本来いかなるものかを考えようとする。考古学は遺跡の発掘調査により得られた物質の上に残された人の痕跡を資料とする学問であり海、山、川など島の自然の恵みと脅威を受けつつ育まれてきた文化を明らかにし、過去に学ぶものである。奄美諸島という限られた島資源の中で暮らしている私たちにとっては自然界との共存は大変重要なことである。資源を管理する戒めや、現存する猛毒ハブに対する畏れをなくすことは、自分たちの生命に直接かかわることである。島に生きる私たちは遥か昔からケンムンとハブと共存することによって旧石器以来この島に住み続けられている。島の自然界に立つとおのずから人間の五感が今でもその時間に立っているような感覚に陥ることができる島である。 8.世界自然遺産との連携 環境省が主体となって進める世界自然遺産登録にはいくつかのハードルがある。まず国立公園に向けた取り組みとして奄美地域では、二つの点でこれまでにない新しい国立公園を目指している。一つは、亜熱帯照葉樹林を中心とする生態系全体を管理していく「生態系管理型国立公園」であり、もう一つは数百年単位で人間と自然が深く関わり調和してきた関係そのものを扱う「環境文化型国立公園」である。
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