210 6.奄美遺産の普及と活用 ヤポネシアのシッポと称されている琉球弧。特に奄美群島はその地理的、歴史的経緯において琉球や大和などの影響を強く受け、奄美独自の文化を形成してきた。12世紀・13世紀においては交易・交流の拠点として重要な役割を果たし奄美市笠利町の赤木名城跡(平成21年国指定)、伊仙町のカムィヤキ古窯跡(平成19年国指定)、宇検村の倉木崎海底遺跡等の遺跡発見などにより明らかにされてきた。しかし、その後15世紀には琉球国、17世紀(1609年)には薩摩、明治期以降は日本国、戦後はアメリカ合衆国、そして昭和28年12月25日には悲願の祖国復帰から現在へと、世界でも稀な歴史的変遷をたどっている。このような歴史的変遷から、奄美はいくつもの国の影響を受けつつ多種多様で強い個性と重層性を有する文化を育くむ島になっている。シマジマ(集落)の生活の中には琉球と大和の融合した独自のシマ化した奄美文化として強かに生き続けている。 奄美遺産を構成する多様な生態系と多様な文化資源(宝)は学術的にも注目されており、全国各地の大学や研究機関が毎年調査に訪れている。調査は地元関係機関との連携と協力体制を整えることにより、その貴重な研究成果が報告書としてまとめられ還元されている。各種の貴重な調査報告書は奄美遺産の付加価値を高め、地域の皆さんが誇りとする意識の高揚につながってきた。このような調査研究の成果に合わせ、地元行政機関による調査も積極的に行われ文化資源が観光や地域振興に活かすことも求められるようになってきた。つまり、地域住民や行政が取り組みにくい観点から文化資源をマネジメントする必要性が生じている。 これまで鹿児島と沖縄の間に挟まれた離島で過疎化が進む奄美においては特に「文化では飯が食えない」という固定観念がまだまだ強く「島には何にもないよ」とシマンチュ(島人)は口をそろえて言う。本取り組みの意義は文化資源を自分たちの生活の中にある自然との関りかたや、島民が大切にしているもの、味や香りのするものまでを含めた視点で捉えるということにある。文化財を構成する関連文化財群にスポットを当てることで、「この島は何にもないよ」といった老人たちは、「贅沢さえしなければ食べていくことは出来るし、時間に追われることもないよ」とも語り始める。都会で味わえない贅沢さがここにあるということに気付かされる。 奄美遺産の取り組みは奄美群島のそれぞれの集落遺産の悉皆調査と聞き書き調査を行い、市町村遺産へ、そして群島の宝とする「奄美遺産」の認定を行い、まちづくりの真ん中に文化遺産を据えることにつながる。そのキーマンとして注目されるのが島人の誰もが信じているシマ(集落)に棲む妖怪「ケンムン」である。ケンムンと猛毒ハブは島人に限られたシマ資源を上手に持続させるマネジメントの役割を果たしてきたと言える。 7.奄美遺産のキャラクター「ケンムン」 奄美大島で島人にケンムンを知っていますか。と訊ねるとほとんどの人が「知っているよ」と答えるだろう。また、ケンムンと遭遇し、見たという人はもちろん、相撲をとったという人もいるほどだ。いわばケンムンは市民権を得ており、その棲み分けも行われていた可能性も出てきた。ケンムン伝承はいまでも人々の心の中に、脈々と受けつがれ、その血流の中で生きている。しかし、そのケンムンの目撃
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