204 の将来を展望しながら取り組んでいる。【視座2】についても同様の働きで、屋久島ジュニア検定は、屋久島の環境文化の内実を表する内容になっている。方法は、検定という座学の勉強を求めるが、その学びに必要な知識は解説という方法で余すことなく提供する。検証第二の視点についていえば、教育委員会の思いに賛同し、応じたO氏の存在は大きい。屋久島ジュニア鑑定は、主催事業として教育委員会が直接関与することで、400人以上の屋久島の児童生徒が毎年検定を受ける仕組みが出来上がっている。問題作成等に参加する教員の負担も小さくないと思うが、屋久島環境文化村構想の実現に向けた地道な活動が始まっている。屋久島・環境教育の20年を検証するとき、ここに一つの到達点をみることができるだろう。 7.これからに向けて 屋久島と聞くと、昨今では縄文杉周辺のオーバーユースの問題やガイドのマナーの問題などあまりよいニュースは流れない。しかし、屋久島・環境教育の20年という視点で今回検証してみると、見えてきたのは希望だった。屋久島環境文化村の理念は、20年の間に熟成し、地元に確実に根づきつつある。危機感がそうさせている部分もあるが、屋久島環境文化村構想は100年の計というように、教育はそれくらいの長期スパンで考える必要がある。待ったなしの問題山積にもちろん変わりはないが、この20年は決して無駄ではなく、むしろ20年が経過して地元がようやくスタートラインに立ったのではないかという気すらする。今回改めて痛感したことは、立ち戻ることができる屋久島環境文化村構想の存在の力強さだ。 今回考察した各々の取り組みについては、すでに方向性を小括で述べたのでここでは繰り返さない。全体をつなぐ視点として最後に一つだけ付け加えておく。 屋久島環境文化財団には、屋久島町から今でも研修という位置づけで職員を派遣している。しかし、20年が経過した今も「研修」という位置づけでよいのかは疑問だ。県職員は、どうしても数年ごとの異動で、しかも、屋久島の地域に明るいわけではない。赴任から最初の1年程度は様子見、実際に動けても2年目からであろう。それに対して、屋久島町の職員は地元に住んでおり、ハンディーは県に比べて低いはずだ。屋久杉自然館や屋久島県立高等学校、教育委員会主催の屋久島ジュニア検定など、この20年で確実に力をつけている人や活動が育ってきている。そろそろ地元が財団運営のイニシアティブをとるべく戦略に出てもよいのではないか。奄美・琉球諸島の世界自然遺産に向けて動きが本格化している今、屋久島の20年に学ぶことの意味は大きい。 参考・引用文献 岩田治郎、「屋久島環境文化財団の模索と展望」、鹿児島大学鹿児島環境学研究会編『鹿児島環境学Ⅲ』、南方新社、2011、226-247 屋久島環境文化懇談会報告、屋久島環境文化懇談会、平成4年9月 屋久島環境文化村マスタープラン報告書、鹿児島県、平成4年11月
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