平成25年度地域の環境文化に依拠した自然遺産のあり方に関する調査検討業務報告書
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181 習し、研究することを求め、②では、屋久島の自然、生活、生産にかかわるすべてを含む島全体をフィールドミュージアムとして環境学習の範囲を示す。③と④は、環境教育を捉える視座を設定する上で特に関係が深いため、以下に一部抜粋する。 ③環境文化村における環境学習:環境文化村における環境学習は、地域固有の「環境文化」を学習することを通じて、普遍的な自然と人間のかかわり方を学ぶということである。つまり、外からの人間にとって環境文化村とは、屋久島の「環境文化」を追体験することを通して、自然を知り、自然との共生の知恵を学ぶ場にほかならない。したがって島の人と共に過ごし、島の自然と生活を体験することにこそ意味がある。また環境学習の中身は、見る、知る、体を動かす、感動する、など知覚、身体的体験のすべてよって環境=自然に対する基本的認識を得ることである。 ④環境学習から地域づくりへ:地域の人々にとっては、学習の場を提供したり知識やノウハウの提供を行うことが新たな産業を起こすことであり、また、交流等によって社会や経済の活性化につなげることが可能となる。しかし環境文化村のねらいはそれだけでなく、島民自身にも「環境学習」を促すものであり、自然との共生によって得てきた暮らしの豊かさを改めて見直し、地域での生産や生活を新たな未来に向けて組み立て直す契機としようとするものである。 以上の内容から環境教育を捉える視座として次に挙げるポイントを導きだすことができる。 【視座1】:「島の外の人(島外者)にとっての環境学習」と「島の中の人(島民)にとっての環境学習」にそれぞれ視点に分け、その上で、各々の着眼点を下記のとおり定める。 【視座1-1】:島外者にとっての環境学習は、屋久島の「環境文化」を追体験するものになっているか。つまり、島外者が島の人とともに過ごし、島の自然と生活を体験するもの(知覚的など身体的体験のすべて)になっているか。 【視座1-2】:島民にとっての環境学習は、自然との共生によって得てきた暮らしの豊かさを改めて見つめ直し、地域での生産や生活を新たな未来に向けて組み立て直す契機となっているか 【視座2】:キーワードとなっている環境文化のコンテンツ(内実)は、1993年から今日に至るまで、「誰が」、「どのように」作り、また、「どのような媒体や方法」によって、「誰に向けて」発信、もしくは、アクセス可能な環境が整えられてきたのか (2)人々の環境学習を支える環境教育の条件整備 環境学習は、あくまでも学習の主体者が主体的に学ぶ行為を指すのであって、環境教育とは意味を異にする。環境学習に対して環境教育は、意図的な働きかけをその本質にもつ。それは、ある知識やスキルを提供するという意味も含めば、学習者から潜在的な力を引き出すという働きかけもある。もっとも自己教育という概念もあるがここでは立ち入らない。今回環境教育の20年を検証するにあたり、人々の環境学習を支える環境教育の条件整備に焦点を絞ることにする。屋久島環境文化村をめぐっては、地元自治体はもとより、県や国、集落

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