178 「昔から利用している場所で、ガイドに邪魔者扱いされた 。」 「金儲けをしているのはガイドだけ。」 この距離はどこから生じたのだろうか。あくまでも推測の域を出ないが、地域住民とガイドとの距離がその背景にあると思われる。ガイドという職業は、世界遺産登録前後に、主に外からきた人によって始まったが、その過程にほとんどの地域の人は関わっていない。加えて、ガイドが案内をする縄文杉や白谷雲水峡は、地域の方が大切にしてきた山の一部である。よそから来た人が、自分たちの大切にしてきた場所を観光地化してお金儲けをしている、という感じを受けたとしても不思議ではない。一方で、外から来た人だからこそ屋久島の魅力を発見し、観光客にうまく伝えることが出来るのもよくいわれることである。 エコツーリズムに大切なのは地域の自主性と自律性とされる(敷田ら「地域からのエコツーリズム」)。環境文化村構想において、「環境文化」に基づく新たな観光の創造を目指して質的転換を図ることが謳われていたが、そのコンセプトが十分に議論されないままに、商品であるガイドツアーが先行して成長してしまったがために、地域住民とガイドとの距離を招いたと考えられる。両者がコミュニケーションをとり、尊敬しあうことで、始めて「環境文化」に基づく新たな観光の創造が実現できると考える。 6.屋久島からの学び 屋久島は世界遺産のブランドと縄文杉ツアーという「商品」によって大きな経済効果を得た。それは、他の国内の世界遺産登録地と比較しても特異である。その一方で「世界自然遺産登録を契機に「自然の価値だけがクローズアップ」され、自然だけが一人歩きしつつある」(屋久島町 2010)と地域で語られている。 屋久島の大きな課題は「環境文化村構想」が実現できていないことにある。その原因は、世界遺産という当時では影響の予測が難しかった概念の導入によって、対応が後手に回ってしまったこともあるが、構想を実現する主体が明確でなかったことも原因であろう。構想策定時に築かれた「屋久島方式」の議論の場は、策定後に引き継がれなかった。中核を担うことを期待された屋久島環境文化財団も、施設の管理運営と独自事業の実施に労力が割かれており、住民の意見の聴取や地域資産の掘り起こしなど徹底した地元重視の姿勢を貫けていないのが実状である。環境文化村構想に関わった方からも、地域住民が自らの手で地域を見直し、積極的に発言していくことの重要性が繰り返し語られた。 そんな中で、地域の取組として注目されるのが「岳参り」の復活と、「里めぐり」である。 屋久島の環境文化のひとつに「岳参り」がある。屋久島の中央部にそびえる山々を「奥岳」と呼び、里に近い「前岳」と区別し、奥岳は畏敬の対象である。岳参りは春の「祈願」と秋の「願解き」の年2回行われ、参拝する奥岳は集落によって異なる。終戦後は、過疎化や高齢化が進み、次第に姿を消していった。世界遺産登録後、畏敬の対象だった奥岳にも観光客が立ち入るようになり、これが契機となって、岳参りを再認識し、復活させる取り組みが拡がっている。 「里めぐり」は「里のエコツアー」ともいわれ、集落の地域資源を掘り起こし、散策ルート作成し、集落の方がガイドとなって歴史、文化、自然、産業などの集落自慢を訪れる方に案内する取組である。現在では島内の5つの集落で取り組まれており、観光客から好評を得ているばかりでなく、自分の集落を見なおす機会になったと集落からも評価が高い。これを推進するため、屋久島町、公益財団法人屋久島環境文化財団、里めぐりを実施している集落で屋久島里めぐり推進協議会が組織され、広報やツアーの受付などを行っている。日常生活を営みながら、集落の方が里めぐりに携わるためには、このようなマネージメン
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