平成25年度地域の環境文化に依拠した自然遺産のあり方に関する調査検討業務報告書
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9 海の彼方には神々のいるネリヤ・カナヤ(ナルコ・テルコ、リュウグウ)と呼ばれる理想郷があり、豊穣や災害をもたらすと信じられている。琉球王朝時代には、神々を迎え、送り出す祭事や農耕儀礼、年中行事を司るノロ制度ができ、現在でもその時代に生まれたと思われる行事や芸能が各地に伝わっている。 ノロによって迎えられた神々は、山に降り、山から尾根伝いに集落に下りてくるとされたことから、カミヤマ(神の降り立つ山)、カミ道(山から降りてきた神が通る道)、ミャー(集落の中心にある祭祀等を行う広場)などといった信仰空間が集落の構造に影響を与え、前面の海や背後の山とともに集落空間(景観)が形成されてきた。 山仕事に従事していた人々は、山の神に感謝するため「山の神の日」を設け、その日は山に入らないといった風習が存在するなど、神の領域への侵入をコントロールするためのタブーや戒めが存在している。それが奄美に棲むと言われる妖怪「ケンムン」や山の神との遭遇体験、聖なる空間の存在など、様々なかたちで島民の間に引き継がれ、守られてきた。しかし、このような、集落を中心として周辺の自然と一体になった生活、集落空間の仕組みや秩序、ノロによる祭司、島民の空間概念や精神性などは、近年の急激な社会経済の変化により地域の中での伝承力が低下し、将来世代への継承が懸念されている。このことは奄美の葬制に関する調査も意味している。 奄美群島では、近年サトウキビを中心に、馬鈴薯等の野菜、花き、畜産、果樹等の農業が営まれている。耕地面積の割合は、徳之島と沖永良部島が高く、徳之島では、さとうきび、野菜、畜産が、沖永良部島では花卉、野菜が主要な作目となっている。 4.赤木名地区の概要 赤木名城の位置する奄美市北部の笠利町は、奄美大島南部のように険しい山岳がなく、町の中央に並ぶ高岳(183.6m)、大刈山(180.7m)、淀山(175m)の三山を結ぶ小山脈状をなし、太平洋に面する東海岸地帯と東シナ海に面する西海岸地帯に分別される。 東海岸地帯はゆるやかな傾斜の起伏が多い土地で、畑地に恵まれ、現在さとうきび栽培が盛んである。西海岸地帯は、前田川、宮久田川、手花部川、屋仁川、佐仁川など川を中心とした5ブロックに分かれ、それぞれのブロックは川を中心として三方を山に囲まれ、一方が海に開いて山裾から水田が広がっており、水稲作が盛んであった。しかし、最近はそのほとんどがサトウキビ栽培に変わっている昭和40年代における減反政策の影響も大きい。 地質は西部および北部一帯はほとんどが大勝岩層からなり、南部の一部に花崗岩層がある。東部は山麓地帯に和野砂岩頁岩層があり、海岸線には国頭礫層が広がっている。なお、東部の一部に僅かながら琉球石灰岩も見られる3。

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