平成24年度「屋久島・小笠原諸島等の島しょ型世界自然遺産をモデルにしたネットワーク構築等業務」報告書
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- 20 - 担当官が柔軟に対応したことで小規模で効果の高い柵が設置された。実現に当たっては両者共に様々な苦労があったとこのことであるが、現在では「GENNBA AWASE」と名付けて、システム化することを訴えている。 設計段階で可能な限り現場の状況を踏まえることが原則ではあるが、生態系が相手である以上、何らかの影響を生態系に及ぼすことは避けられない。その影響を最小限にするために、施工段階においても、科学的知見を有し、現地の状況に詳しい者を助言者として位置づけ、工事を柔軟に見なしていく仕組みをつくることが求められる。 2)屋久島環境文化村構想と世界遺産登録の影響・効果と管理の課題 屋久島はわが国の世界遺産の第1号で1993年に登録された。遺産登録の効果についても当然手探りであり、地元ではむしろ疑問視する声が多数であった。その後の展開は観光を中心として劇的な効果があり、一部地域では過剰利用の弊害が指摘されるまでに至っている。 ここでは、世界遺産登録の契機となった環境文化村構想をふり返るとともに、屋久島の歩みから「奄美・琉球」が学ぶべきことについて述べる。 ① 屋久島環境文化村構想 屋久島の変化を論ずるにあたって、エポックとなった重要なものに屋久島環境文化村構想がある。 鹿児島県の長期計画である総合基本計画は1990年に策定された。屋久島環境文化村計画は、その中に14ある重点施策、戦略プロジェクトのひとつとして提案されたものである。基本計画上の位置づけは、屋久島の特異な自然を活かして環境学習の島にしようとするものであった。 地域と遊離して環境学習はあり得ない。なぜなら、学ぶべきは屋久島の自然であるとともに島民の自然との付き合い方であるからだ。また、島外者だけへの一方的サービスの提供は地域社会をむしろ歪める可能性がある。さらに、屋久島が健全な地域であることが環境学習の前提であるとの考え方があった。したがって屋久島環境文化村構想の狙いは、この時すでに環境学習という単一スキームを超え自然を基軸とした地域づくりというテーマであった。 具体的には、以下が構想を進めるにあたっての方針とされた。 ⅰ 従来型の公共事業や企業誘致ではない、新たな地域づくりの試み ⅱ 自然保護と経済の統合への仕組みづくり ⅲ 地域の立場からの自然保護の確立 こうした大きな目標の遂行には、当然のことながらこれまでの行政施策の進め方とは異なったプロセスが求められる。それはすなわち、計画の策定過程そのものを事業の一部として進める、島民の幅広い参加で議論を深め計画と地域との関係を強固なものする、島内外に議論を拡大する、等々であった。そしてその具体的な形のひとつが、屋久島環

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