平成23年度「琉球弧の世界自然遺産登録に向けた科学的知見に基づく管理体制の構築に向けた検討業務」報告
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73 ので、それぞれ専門があった。 ・いまは禁漁などの決まりがあるけど、昔はなかった。今度みんなで漁に行こうとか、よその部落に網を張りに行こうとかの約束をして出かけていた。 (徳之島・伊仙町目手久集落75歳男性) 自然の生き物や現象に教えられる ・昔は時報や腕時計もない時代だったけど、ヒヨドリが群れ鳴きすると、最初に鳴くときには「もう帰り支度しなさい」。二番鳥が鳴くときには、「たとえ牛に荷物を積んでいるさなかでも、放って早く帰ってきなさい。暗くなるので急いで帰りなさい」と大人から教えてもらった。 (奄美市笠利町佐二集落73歳男性) ・昔の人は自分の頭で自然と観測して、雨が長続きすれば、あとは干ばつが来るとか、干ばつが長続きすると雨の日が長く来ることが分かっていた。 ・家から海を見ていて、イルカがここから沖縄のほうに下っていくときには、「これから天気がよくなるよ」と言っていた。また逆に、上ってくると「天気が移りそうだね」、しばらくしたら天気が悪くなるよと理解していた。 ・東風が吹くと、それは間違いなくその返しがあると昔の人は知っていた。東から西に強く吹けば逆風があるので、風が穏やかになっても油断するなと教えられていた。 (徳之島・伊仙町目手久集落75歳男性) ここで紹介したのは、奄美地域のある限られたシマの話に過ぎない。それでも、自然が自分の手足と一緒だという感覚(環境観)は、生きる手段を徒歩圏内の身近な森と海から日常的に得るなかで形成されたものであることを推測することが可能である。古老の話は、森や海は食糧や生活道具を得る場所だけでなく、遊びや楽しみの場でもあったことを伝えている。また、山の動植物や海の魚介類が、いつ頃にどこに行けば何があるかは、人伝に教えられ熟知していた。故に資源を枯渇しないための暗黙の了解や、ケンムンなどの言い伝えによって「人と自然のつき合い方」に関する訓戒が伝承されてきたと考えられる。

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