平成23年度「琉球弧の世界自然遺産登録に向けた科学的知見に基づく管理体制の構築に向けた検討業務」報告
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72 輪梅の実)、グミの実などを採って食べた。アクチは春。これは小鳥の好物で、小鳥をまたハブが狙ってくる。だから、これを採るとまた両親から怒られた。でもこれらを採りに行って、ハブ見たことはあるけどかまれたことない。夢中になる中でも、やっぱりハブがいるんだということを念頭において動作するからだろう。 (奄美市笠利町佐二集落73歳男性、68歳女性) 道具はすべて山から採っていた ・戦前戦後は、必要なものが生じたときには山からとってきて、道具はすべて自分たちで作っていった。シュロやアダンの繊維から、網をなって運搬用の袋や縄などを作った。アダンは、ワラやシュロに比べて繊維が強くて長持ちした。釣竿やかご類などは、山から竹を切ってきてつくり、クワやカマの柄は、モッコクやテイチギ(車輪梅)など堅い木を使ってつくった。 ・昔は、病気になるとそれこそ財産つぶしだったので、民間薬みたいなのがあった。グミとか、化膿止めや鎮痛剤などいろいろな使い方をした。グミの木を取ってきて、割って乾燥させて、それをまた煎じて飲んだ。 (奄美市笠利町佐二集落73歳男性、68歳女性) ・髪の毛は、芋の葉っぱやクワの葉っぱ、赤土を使って洗っていた。洗面器に土を溶かして真っ赤な泥水を使ったり、クワの葉っぱや芋の葉っぱなどは突くと泡が出るので、それで洗っていた。だから、あの当時はシラミの人がいっぱいいて、石けんがないので、衣類にもシラミがわいていた。洗い物には、木灰を使った。木灰は一番大事で、たわしがないからワラをなって、洗っていた。 (徳之島町母間集落92歳女性) 海の幸と山の幸、仕事と楽しみ ・海には「私を食べてください」と言わんばかりに、いろいろな小魚が寄ってきていた。岸近くにキビナゴも群れてくるし、カツオのえさになる小指大のイワシみたいな小魚もやってくる。海草なども次々出てくる。夜釣りに行っても、名人でないとそれなりの釣果は取れないので、多くの人は夜のイザリに行く。 ・農作業だけでは海の食糧が調達できない。海のものは、潮や天気の加減などがあって山のもののように毎日は採ることができない。月日や潮時を見て、お父さんが達者な人、場合によってはお母さんが海に採りに行っていた。 (奄美市笠利町佐二集落73歳男性、68歳女性) ・山は行くけど、それは楽しみで行くとか金儲けのために行くのではなくて否が応でも生活につながっていた。昔はキノコ採りやタケノコ採りなど、その時季その時季のものを採っていた。たきぎ取りにはみんな行っていた。 ・海には、子どもの時からずっと行っていたが、一人前に漁ができるようになったのはだいたい中学生ぐらいの時。父親や先輩なんかと一緒にも行っていた。海に行って捕ってきた魚を、ほかの品物に交換していた。海に行けない人や怖がって行かない人もいる

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