平成23年度「琉球弧の世界自然遺産登録に向けた科学的知見に基づく管理体制の構築に向けた検討業務」報告
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70 2.奄美の環境観と自然とのつき合い方 (奄美の)シマの年寄りたちは、自然環境の大事さっていうことで、動物でも植物でも、ハブでも神様扱いする。あの台風でも海の掃除に来たって、漁師は前向きに考える。それが、もう年寄りたちにとっては、自分の身体そのものになっている。また、先祖を大事にするのは、あたりまえっていう感覚で、特段に大事にしているというのではない。 それは、当時の奄美の人々が生きていくうえで、一番の支えでもあった。貧しい、苦しい、差別はされる。そういう中で、皆で助け合い、支えあって生きていく。ものを大事にするとか、自然に生かされているとか、なにもこう、講演を聴いたりとか、みんなで議論をしたりというのではなく、生活の中で自然と作り上げられてきた。 (奄美大島奄美市70歳男性) 自分の身体の延長として外部の環境を捉える見方は、奄美地域に古来より生きた人々の環境観を象徴的に伝える。奄美地域では、戦後日本本土に復帰する昭和28年までは、自給自足を生活・生産の基盤にしている。70歳古老が語るシマ(集落)の年寄りたちの環境観は、そのような時代に育まれたものとみてほぼ間違いない。シマの多くは、カミヤマ(神山)と呼ばれる山を背に、集落近くの森と田畑、イノー(潮だまり)までのごく限られた空間を生活圏にして、生活・生産に必要な物資を土地の垂直利用による採集を基本にした生活文化を成立させてきた。 一方、復帰を迎えると、シマジマ(各集落)には、様々な生活物資が本土より流入し、道路や港湾などのインフラ整備が進む。人々の労働形態や生活様式は、紬産業の発展などに伴う貨幣経済の浸透に続き、稲作から畑作(サトウキビ)への転作政策が定着する中で大きく変貌していく。シマの年よりにみる環境観もまた、自給自足の生活基盤が崩れ、都市化が進展する中で世代間の伝承を困難なものとし、環境観の変質、もしくは、新たな環境観が形成されていく過渡期にある。 ただし、奄美地域において、人と自然とのつき合い方が劇的に変化するのは、多く見積もっても60年に満たない。したがって、奄美地域に現在残る自然は、人々の暮らしが接近する閉鎖された自然空間のなかで、節度ある自然利用を長年にわたって大切に継承してきた奄美の人々の歴史の所産だという見方ができる。このことは、歴史の中で人々が自然に影響を与えつつ作り上げてきた風景や風土を国立公園として保護する意味での「環境文化型国立公園」の考え方にも合致する。 奄美に生きる人々の環境観は、人々の日常の中に溶け込んだ「人と自然のつき合い方」の蓄積の上に形成されてきたものであり、その具体的な営みを通して見えてくる世界である。以下にその事例を古老の言葉として記す。

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