10 4) 地域の自然、風景認識 奄美の人々の暮らしは、周辺の自然と密接に関わっている。一般的に、集落を中心として前面の海で魚介類を採取し、川で物を洗い、タナガなどを採り、背後の山野で田畑を開墾するとともに、薪や材木を伐りだして生活の糧とするというように、集落が周囲の海や山と一体となった生活を営んできた。 海の彼方には神々のいるネリヤ・カナヤ(ナルコ・テルコ、リュウグウ)と呼ばれる理想郷があり、豊穣や災害をもたらすと信じられてきた。琉球王朝時代には、神々を迎え、送り出す祭事や農耕儀礼、年中行事を司るノロ制度ができ、現在でもその時代に生まれたと思われる行事や芸能が各地に伝わっている。 ノロによって迎えられた神々は、山に降り、山から尾根伝いに集落に下りてくるとされたことから、カミヤマ(神の降り立つ山)、カミ道(山から降りてきた神が通る道)、ミャー(集落の中心にある祭祀等を行う広場)などといった信仰空間が集落の構造に影響を与え、前面の海や背後の山とともに集落空間(景観)が形成されてきた。 山仕事に従事していた人々は、山の神に感謝するため「山の神の日」を設け、その日は山に入らないといった風習が存在するなど、神の領域への侵入をコントロールするためのタブーや戒めが存在し、それがケンムンや山の神との遭遇体験、聖なる空間の存在など、様々なかたちで島民の間に引き継がれ、守られてきた。 このように、奄美においては、山、森、海のすべてが生活圏であり、その環境に暮らしが支えられているとの認識が見られる。
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