平成21年度「自然共生型地域づくりの観点に立った世界自然遺産のあり方に関する検討業務」報告書
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6 26,27)しかもゴールデンウイーク前後の10日間と夏休みの30日間に集中するから、し尿処理、ゴミ問題に加えて踏圧による植生破壊も無視できない。世界遺産登録前の登山者数はぜいぜい1万人~1万5千人程度と推定されている。 図表35に見るように、国立公園、森林生態系保護地域、世界自然遺産登録地が重複して指定されている。図にはないが原生自然環境保護地域、地域指定ではないが文化財保護法の天然記念物(屋久島原生林)にも指定されている。1992年の世界遺産委員会現地調査の際、異なる行政機関による縦割りの弊害が指摘されたが、共同事務局を設置して遺漏のないようにするということで決着した経緯がある。遺産地域の現状を把握するための科学委員会が屋久島においても2009年に設置され、林野庁、環境省が共同事務局としてこれに当たっている。 屋久島の社会意識において留意すべき点は、山岳地域への意識、風景認識である。集落は海岸線近くにのみあって、宮之浦岳など奥山は基本的には見えない。千メートル前後の前岳が前面にあり、日常生活圏では前岳のみが日常的風景である。(図表36)この事実は奥岳の聖域としての感覚を高める効果を島民にもたらし、現在もその意識、感覚は継続している。その一方で、昭和30年代をエポックとして意識変革、強いて言えば都会意識は屋久島においても着実に浸透してきた。図表39,40を見れば、昭和30年を境にして、日常的自然産物の利用が減り、換金植物など市場性のあるものに変化していく様がよくわかる。 屋久島について意外に知られていない事実は、水力発電の島だということである。(図表41,42)昭和50年代前半には発電用ダムの整備は完了し、莫大な出力が確保されていまに至っている。鹿児島県によって2009年から屋久島における電気自動車の導入が本格的になされようとしている背景にはこの豊富な水力発電量がある。 (2)10指標の分析 以上を踏まえて、以下に掲げる10の指標を選択し、分析した。その結果は次の通り。 「人口推移」(図表 5) 屋久島の人口のピークは1960年の24010人である。その後長期にわたって減少し続け、1990年には13860人と約1万人減少した。1993年世界遺産登録以降、微増、横ばいを傾向に変化し、2006年現在13820人と1990年値とほぼ同じとなっている。全国の離島が同期間に十数%減少していることを考えれば、異例の数字である。後述するように、遺産登録が観光客増をもたらし、主として島外からの移入者が人口の維持に大きく影響したと思われる。 また、集落別の傾向をみると(図表7)、最大の宮之浦が横ばいであるのに対し、第2の安房は1401人から1176人へと16%減少しており、屋久島でも一極集中傾向にあることがわかる。

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