平成21年度「自然共生型地域づくりの観点に立った世界自然遺産のあり方に関する検討業務」報告書
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71 産候補リストには、知床、小笠原とならんで琉球諸島が入った。このうち知床は05年に世界遺産に登録されたから、次は小笠原と琉球諸島である(小笠原は2010年初めに政府から推薦された)。琉球諸島とは奄美群島及び沖縄全体を指す。 中でもポイントとなるのは、沖縄においてはヤンバルクイナのいる本島北部のやんばる地域一帯、奄美ではアマミノクロウサギのいる大島及び徳之島の森林地域である。やんばるについては米軍基地がいまだ返還されていないし、奄美についてはこれらの森林地域は保護のための手当がほぼゼロというのが現状である。 世界遺産は世界的に見て自然がすぐれ、かつ典型的なものであることに加え、その自然が確実に守られる国内的な手立て、保護区域になっていることが前提である。したがって琉球諸島については、まず国立公園としての指定を急ぐ必要がある。そのための議論がいま地域で始まったところである。 鹿児島という地域にとっては、もし屋久島に続いて奄美が世界自然遺産になれば、ひとつの県で2つの世界遺産を持つことになる。温帯と亜熱帯の2つが世界生物地理上の日本の位置であり、その2つを持つ都道府県は東京と鹿児島だけである。東京の本土側には世界自然遺産相当の自然はないから、自然遺産を2つ持つ可能性のあるのは鹿児島だけである。地域振興を考える場合、この事実のもつ意味はきわめて大きいものがあると考えられる。 奄美における最大の課題は、これからの奄美をどうしていくかということである。奄美をしばしば見て感じるのは、地域から発するメッセージが弱いことである。鹿児島と沖縄という強力なイメージの地域に挟まれて、これこそが奄美だという情報が世間に伝わっていない。あるいは沖縄の一部といった印象。 奄美群島全体の観光客数は年間約40万人、これは屋久島一島と同じ数字である。それぞれタイプの違う5つの島があり、与論島観光が昭和50年代に一世を風靡したことを考えるとあまりにも少ない数字だ。観光が低調な原因は、昭和40年代に宮崎、指宿など本土がヤシやフェニックスを植えるなど疑似南国で売り出したが、1972(昭和47)年の沖縄復帰で本物の南国沖縄へと流れが変わったこと、その後グアム、サイパン、ハワイなどさらに南への外国旅行が増加したこと、等々である。要するに観光ブームは奄美を飛び越えていったのである。 全国の観光地と比較して言えば、奄美の潜在的資源性は日本の他地域と比べてかなりのものがある。しかもわが国にとってはいまだ珍しく新しい風景であり文化や産物があるのである。世界自然遺産の次の候補地が奄美・琉球諸島であることはそのひとつの証明である。新緑のシイやタブ、アマミノクロウサギなどここにしかいない動物、島唄など独自の文化。100年前に18万の人々がこの島々に住んでいたことを思い起こせば、この島のポテンシャルの豊かさはむしろ自明である。 観光関係者の意識や奄美振興事業の組み立ては、最初の第1歩のところでいくつかの誤解があったように思える。その1つは「群島」という括り方だ。奄美振興法という制度を作る際には、島々を統一する概念は必須条件だった。そのことによって様々な事業は実現した。しかし地域全体をひとつの言葉で括ったことによって島々の個性は相対的

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