平成21年度「自然共生型地域づくりの観点に立った世界自然遺産のあり方に関する検討業務」報告書
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66 にある。人口減と併せて考えると疲弊した地方地域の典型であろう。全国の山村、過疎地、離島はほぼ同様の傾向にある。国民所得との格差は32%もある。図表38に見るように物価は本土と比べおおむね1割以上高いから、実質的な所得格差はさらに大きいと思われる。物価が高い主因は、ガソリンを始め野菜や果物など生活必需品を、ほぼ島外からの移入に頼らざるを得ないからである。 「文化財指定状況」(図表44) 国指定文化財は18件、うち11件がルリカケスなど生物系の天然記念物である。(クロウサギは特別天然記念物)県指定も17件、うち4件がイシカワガエルなど生物系の天然記念物。国、県指定を通じた特徴は、戦前の指定は1923年のルリカケスのみで、他の34件はいずれも戦後、昭和30年代以降のものである。奄美群島の文化の特異性、その歴史的蓄積からみて、行政乃至地域の文化財への感心の薄さの反映であろう。 これらの指標分析を踏まえて主たる検討結果を以下に述べる。 (1)島民の自然に関する意識(地理的認識など) 奄美で観光パンフレットを見、地元の人などと話をすると、彼らの認識する奄美の観光ポイントとはほぼ海であることに気がつく。地元にとっての観光、見せるべき奄美の景観はなぜか海に特化したものなのである。島によって観光への温度差はあるもののこの意識は奄美全体に共通している。問題は、島外者に見せるための風景というだけでなく、住民の意識そのものが海へ向かい、森に関しては見るべきものがあるとの認識はほとんど持ってないということにある。森には猛毒のハブがいるという理由からだけではない。奄美の人々にとって森は生活や生産の場、つまり日常の空間であり、海は非日常、「ハレ」の景観であることが遠因であるとも考えられる。そうした住民の感覚と昭和40代以降の観光関係者の考え方がストレートに結びつき、いまに至っている。 奄美群島は1974年(昭和49年)に国定公園に指定された。この調査書(図表43)はそれに先立つ1968年に県が(財)海中公園センターに委託して作られたものである。調査書の内容は自然環境が中心であるが、民俗・文化関係の記述中の奄美大島の漁村集落について、①純漁村は存在しない②集落の一角に漁家集落地区というものを構成③沖縄糸満、与論、沖永良部からの移住漁家によって形成、などと述べられている。沖縄から奄美、屋久島にかけての島々では移住漁家がかなりのシェアを占めるのが一般的であるが、そのことと大島住民の海への認識が関係しているのかどうか興味深いところである。漁業関係については移住漁家が専らにした労働だとすると、いわゆる大島住民の空間意識は集落及び後背地の山、森へと向かい、海への認識はもしかするときわめて薄いものである可能性がある。これは今後の集落再編や観光地整備などにかかる考え方をまとめていくために、さらに分析すべき事項である。

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