13 島環境文化懇談会(島外有識者)、マスタープラン検討委員会(県内学者)、地元研究会(島民)という3つの委員会の設立である。屋久島環境文化懇談会は主として理念を、マスタープラン検討委員会は専門的計画を、地元研究会は地元の立場からの提案をするというのが大きな仕分けだが、実体上は途中経過をそれぞれ報告し合うなど渾然一体として進められた。 こうしてまとまとめられた環境文化村の議論の成果は、次の3点に集約される。 ①「共生と循環」に代表される理念を打ち出したこと ②環境文化村センターなどハード施設の整備とソフト運営の財団を設立したこと ③屋久島方式=地域づくりは100年計画の運動論、であるという新たな提案をしたこと 理念として提起されたのは、「共生」「循環」「参加・交流」「国際」と「環境学習」の5つであった。共生と循環は委員である哲学者梅原猛氏の主張であったが、同時に地元研究会からの提案でもあったことの意味は大きい。翌93年に閣議決定された国の環境保全の基本方針である環境保全長期計画において「共生と循環」がもっとも重要な理念として掲げられたことを思えば、屋久島の議論の先進性がより明確となるであろう。 「環境文化村センターと研修センター」 この事業の中で環境文化村センターと研修センターという大きな施設をつくった。しかし単に2つの大きな施設をつくったことに意味があるのではない。島外からのアクセスの拠点である宮之浦に文化村センターをつくったのは、自然や地域について予め情報を得た上で島に入ってもらいたいということを目指したものである。安房の研修センターは、環境学習の展開にとって基本となる宿泊施設や情報拠点を確保するとの意図に基づいていた。また施設立地の選定は、専門家からみれば屋久島人気が高まるであろうことはその資源のポテンシャルからみて自明のことであったから、島の一部地域への集中を避け来島者を分散させるとの狙いもあった。その後の奥岳への利用集中をみるとこうした意図は必ずしも成功したとは言い難いが、今後の屋久島全体の利用を考えるに当たっての原点であることは確認しておきたい。 「屋久島方式という提案」 屋久島方式とは、住民の主体的参加による地域づくりであり、超長期間の地域づくりのススメである。お題目としての参加ではなく、それぞれが自らの立場に立脚して臆することなく意見をを述べること。主体的参加の意味は環境文化村にかかる3つの委員会の進め方に意図されたごとく、公開された場でそれぞれが意見を言うことによって、例え時間はかかっても合意された結論への責任感には格段の違いが生まれる。そこで生まれた合意はすなわち地域の合意なのである。東京から降りてくる方針に依拠している限り、実施は容易であるかもしれないがこうした意識には結びつかない。 2)その他の環境保全施策 屋久島環境文化村構想策定、世界遺産登録を大きな契機として、国、県、地元町等により各種環境保全、自然保護のための多くの施策が実施されてきた。主な施策を方向性、
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