平成21年度「自然共生型地域づくりの観点に立った世界自然遺産のあり方に関する検討業務」報告書
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12 (4)遺産登録による環境保全施策の変化 世界遺産締結、登録以前の自然保護施策は、圧倒的な開発、改変の防御の手段として生態系保全を思想的根拠として保護の強化を図ろうとするものであった。屋久島においても同様である。すなわち国有林伐採など森林破壊に対する保護の手段として、国立公園、原生自然環境保護地域は機能し、またそれを求められてもいた。 変化は遺産登録前から現れた。国有林自体が保護のための森林生態系保護地域を指定したのは1992年のことである。また、遺産登録までの島内議論、遺産登録による屋久島の知名度の向上と急激な観光客増は、この間の事情を大きく変えた。ひと言でいえばそれは厳正保護から共生的保護思想、施策への転換であり、端的な事象としては奥岳への利用規制、エコツアーなど利用の質の向上のための各種施策である。 さらに島全体の中で利用と開発をバランスよく受けとめるための工夫、例えば中腹の屋久杉ランドに加えて白谷雲水峡を自然休養林として指定整備したのは遺産登録後のことであり利用圧力の緩衝措置でもあった。 いま現在必要とされる環境保全施策の第1は、縄文杉登山を中心とする奥岳登山の規制であろう。これについても遺産登録後17年経ってようやく地元も含めて実現への機運が高まってきたところである。 1)屋久島環境文化村構想 屋久島の変化を論ずるにあたって、エポックとなった重要なものに屋久島環境文化村構想がある。ここでこの構想について詳述しておく。(図表44,45) 鹿児島県の長期計画である総合基本計画は1990年に策定された。屋久島環境文化村計画は、その中に14ある重点施策、戦略プロジェクトのひとつとして提案されたものである。基本計画上の位置づけは、屋久島の特異な自然を活かして環境学習の島にしようとするものであった。 地域と遊離して環境学習はあり得ない。なぜなら、学ぶべきは屋久島の自然であるとともに島民の自然との付き合い方であるからだ。また、島外者だけへの一方的サービスの提供は地域社会をむしろ歪める可能性がある。さらに、屋久島が健全な地域であることが環境学習の前提であるとの考え方があった。したがって屋久島環境文化村構想の狙いは、この時すでに環境学習という単一スキームを超え自然を基軸とした地域づくりというテーマであったのである。 具体的には、以下が構想を進めるにあたっての方針とされた。 ①従来型の公共事業や企業誘致ではない、新たな地域づくりの試み ②自然保護と経済の統合への仕組みづくり ③地域の立場からの自然保護の確立 こうした大きな目標の遂行には、当然のことながらこれまでの行政施策の進め方とは異なったプロセスが求められる。それはすなわち、計画の策定過程そのものを事業の一部として進める、島民の幅広い参加で議論を深め計画と地域との関係を強固なものする、島内外に議論を拡大する、等々であった。そしてその具体的な形のひとつが、屋久

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