平成21年度「自然共生型地域づくりの観点に立った世界自然遺産のあり方に関する検討業務」報告書
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11 って、屋久島の住民行動、意識も強い影響を受けていることがわかる。その一方で縄文杉以下37本の巨大屋久杉には名前を付けて畏敬しているとの事実もまた共存しているのである。(図表37) (2)遺産登録が地域の産業、雇用、経済に与えた影響・効果 屋久島の人口のピークは1960(昭和35)年の約24000人である。現在まで半世紀で約1万人が減少してきた。遺産登録の前後をみると、1990年は13860人、06年は13820人だからほぼ横ばいである。この間の全国離島の平均人口減少率は13%であり、屋久島の人口の推移はきわめて特異なものだ。 1989年の島内純生産は222億円、06年は445億円と2倍になった。観光客数は91年11万5千人、06年が33万3千人と約3倍。直近10年度の観光客は40万人近いとの速報値がある。産業別就業者比率の変化をみると1次産業は12%と半減したが、3次産業は17%増加し67%となった。7割近くが3次産業就業者である。島民所得は1.3倍に伸びた。県民所得と比べて84%とまだ差があるが、89年当時の67%と比べると格差は確実に縮まっている。1次産業就業者の減少にもかかわらず農業生産額は1.8倍に増加した。内訳はポンカンなどの果樹が6割近い。 これらの変化は、第1に世界遺産登録によるものだと考えられる。また、高速船の就航、フェリーの大型化、航空便の増便などが、その背景、基礎条件をなした。 (3)遺産登録による島民の意識の変化 世界遺産による住民の意識変化はきわめて大きなものがあったが、ほぼ同時に鹿児島県によって始められた屋久島環境文化村構想の果たした役割が大きい。 なによりも日本を代表する知識人たちが屋久島の価値や将来について熱心に議論する姿は島民の意識変革に大きな影響を及ぼした。さらに日本を代表する自然として富士山など他のどの地域でもなく屋久島が取り上げられたことも彼らの意識を刺激した。 しかし最大のポイントは、これまでの必ずしも少なからざる地域振興施策、公共事業等の積み重ねの結果が、いま現在の屋久島の状況、長期低落しつつあって将来への希望を見いだせない屋久島である、との冷静な現状認識が根底にあったからであろう。 屋久島環境文化村構想及びそれに関係した委員会委員たちの議論は、正面から屋久島の未来を論じただけではなく、日本の未来のモデルとして屋久島の役割があるのではないかというものだった。そうした議論は、委員たちの存在感と相俟って島民達の意識を揺り動かした。同時にどこにあるかさえ正確には認識されていない屋久島について、日本を代表する自然であり、日本社会のモデルであるかもしれないとの言葉は、彼らの誇りを強く再認識させた。 経済は地域、社会の基本である。しかし誇りもまた経済と同等か時にそれ以上に個人や社会を動かす力を持つのであり、世界遺産登録はそのきわめて明快な根拠となったのである。

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