平成21年度「自然共生型地域づくりの観点に立った世界自然遺産のあり方に関する検討業務」報告書
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10 非常に高い傾向を示す ・離島振興事業費推移 地域における公的配分の大きさを示す。奄美群島においては奄美群島振興事業費がこれにあたる ・観光客数推移 世界遺産登録によって起きたもっとも大きな変化の指標。奄美群島において想定すべき変化の予兆でもある ・所得推移 住民レベルでのもっとも直接的な経済指標 ・文化財指定状況 文化財保護法そのものが、人間の歴史的営為の所産と自然を対象としたものと2つを内包しており、両者を概観するのに適している。また、屋久島及び奄美群島の指定状況を見ると必ずしも充実しているとは言い難い状況がある 2.4 屋久島の世界遺産登録の影響・効果 屋久島はわが国の世界遺産の第1号であったから、遺産登録の効果についても当然手探りであり、地元ではむしろ疑問視する声が多数であった。その後の展開は観光を中心として劇的な効果があり、一部地域では過剰利用の弊害が指摘されるまでに至っている。ここでは概要の変化と、それが地域や住民意識等に与えた影響について分析する。 (1)島民の自然に関する地理的認識と遺産区域等との関係 屋久島の住民による風景認識の特徴は、聖域としての奥岳、生活域としての沿岸域(一周県道沿いでもある)ということに尽きる。24の集落も県道沿いにある。集落の後背地には標高千メートル前後の前岳が立ちはだかって、日常的な風景としては奥岳は見えない。(図表36)世界遺産登録地域は、島西部の旧西部林道地区が海岸まで入っている他は奥岳地域が中心である。(図表35)この2つの条件乃至心理は、世界遺産及び奥岳の聖域性、非日常性をより強める方向で機能した。 遺産登録は、(登録へのプロセスも含めて)島外からの屋久島自然への決定的評価であったが、またその評価によって島民の屋久島の自然への認識を再認識、強化させる契機でもあった。屋久島環境文化村構想策定の中で島民から屋久島全域を3区分するゾーニング案が提出されたのはそうした意識の反映である。 島民の風景認識あるいは地理的認識を考える際に重要なもう1つの要素は、昭和30年(1955年)をエポックとして森及び自然への感覚が大きく変化していることである。図表39,40は、屋久島の植物利用の変化を表しているヒアリング調査であるが、植物採取対象が生活上の必要性から換金性の高いものへの移行が明確になっている。この時代の日本は高度経済成長が始まった時期であり、日本社会全体の大きな経済状況の変化によ

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